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レアル・ベティス : ウィキペディア日本語版
レアル・ベティス

レアル・ベティス・バロンピエ () は、スペインアンダルシア州セビリアに本拠地を置くサッカークラブ。2015-16シーズンはリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属している。
エスタディオ・ベニート・ビジャマリンをホームスタジアムとして使用している。1907年9月12日に創設され、1934-35シーズンにクラブ史上唯一のプリメーラ・ディビシオン(1部)制覇を成し遂げた。コパ・デル・レイでは2度、1976-77シーズンと2004-05シーズンに優勝している。昇降格を繰り返すが人気が衰えないベティスを表すフレーズに、「ベティス万歳、たとえ敗れようとも!」(''Viva Betis manquepierda!'') というものがある〔木村浩嗣「“ベティス万歳、たとえ敗れても”」footballista、ソルメディア、2012年2月1日、5頁によると、「たとえ敗れようとも」の表記は「mar que pierda」が正しいが、アンダルシア訛りの発音が定着して「manquepierda」になったとされる。〕。
クラブ名のベティスは、ローマ帝国時代の属州名バエティカに由来する。バエティカはセビージャ市内を流れるグアダルキビル川を指し、範囲は現在のアンダルシア州に相当する。ベティスのサポーターはベティコ (''béticos'') と呼ばれ、歴史的背景から労働者階級層に強い支持基盤を持つとされる。同じセビージャを本拠地とし、富裕層を中心にファンが多いとされるセビージャFCとの試合はアンダルシア・ダービー(セビージャ・ダービー)として盛り上がる。初期のクラブには労働者階級のサポーターが多かったが、その一方で多くの貴族もベティスを支援した。1914年にはアルフォンソ13世の庇護を受けてクラブ名に「レアル (Real) 」が冠された。スペインの前国王フアン・カルロス1世と息子の現国王フェリペ6世はクラブの名誉会員である。
== 歴史 ==

=== 創設期 ===
1905年にはライバルのセビージャFCが公式に創設された。2年後の1907年9月、セビージャ市内2番目のクラブとして、地元の工芸学校の学生によってセビージャ・バロンピエ (''Sevilla Balompié'') が創設された。バロンピエとは一般的に使用されるフトボル (''futbol'') と同じく、スペイン語でサッカーの意味である。バロンピエが公式に認可されたのは2年後の1909年であるが、クラブは設立年を1907年としている。また、1909年にはセビージャFCで内部分裂が起こり、離反した役員たちによってベティスFC (''Betis Foot-ball Club'') が設立された。当時のセビージャFCは労働者階級出身の選手との契約を拒んでおり、これに批判的な一派が旗揚げしたのがベティスFCだった。1914年、ベティスFCとセビージャ・バロンピエが合併し、アルフォンソ13世の庇護を受けて「レアル (王室の意味) 」が冠された結果、レアル・ベティス・バロンピエ (''Real Betis Balompié'') が誕生した。ファンはクラブをバロンピエと呼び続け、ファン自身はロス・バロンペディスタス (Los Balompedistas) という愛称で知られた。1930年代、ベティスとその形容詞的な用法であるベティコ (Beticos) がクラブやファンを語る際の一般的な用語となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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