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ルチアーノ・スパレッティ : ミニ英和和英辞書
ルチアーノ・スパレッティ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルチアーノ・スパレッティ : ウィキペディア日本語版
ルチアーノ・スパレッティ[ちょうおん]

ルチアーノ・スパッレッティLuciano Spalletti1959年3月7日 - )は、イタリアチェルタルド出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
== 来歴 ==
現役サッカー選手時代は3部リーグに当たるセリエCでプレーしていた。ポジションは守備的MFで主に相手のエースを追いかけまわす役割をしていた。引退後、所属クラブであったエンポリFCで指導者の道を歩み始め、下部組織のコーチなどを経て、1995/1996シーズンに昇格する形で監督に就任した。その後、UCサンプドリア、ヴェネツィアの監督を歴任するが、いずれもセリエB降格の憂き目に遭っており、続くウディネーゼでも降格の危機に瀕したことから「降格請負人」という有り難くない異名を持ってしまった。
監督としての評価を確固たるものにしたのは、2002年の2回目のウディネーゼの監督就任以降である。2004-2005シーズン、ウディネーゼは3位でシーズンを終え、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を手にしたが、スパッレッティ自身はそのシーズンで監督を辞した。その後、監督交代を繰り返して同シーズン7位に沈んだASローマの監督に就任した。
ASローマでは、トップ下の攻撃的MFとして地位を固めていたフランチェスコ・トッティセンター・フォワード(CF)にコンバートし、代わりにシモーネ・ペッロッタにトップ下を任せた。さらにダニエレ・デ・ロッシアルベルト・アクイラーニといった若手を積極的に起用、チームの再建を成功させた。生粋のストライカーを起用せず細かなパス回しとMFの走り込みを組み合わせた攻撃サッカーは、0トップと呼ばれ、セリエAで最も美しいサッカーと言われた。そしてその新戦術はFCバルセロナなど現在の強豪クラブにも大きな影響を与えている。
2005-2006シーズンには、セリエA新記録となる11連勝を成し遂げた。2006-07、2007-08シーズンと2年連続でローマをセリエA2位、チャンピオンズリーグベスト8の好成績に導くが、2008-09シーズンは怪我人の続出や新戦力の不発などで6位に後退。「(チャンピオンズリーグ出場圏内の)4位以内に入れなかったら辞任する」との考えを示しており、ユヴェントスFCへの監督就任の噂もされたが、選手やフロントの強い支持もあり残留を表明した。しかし新たに迎えた2009-10シーズンでは開幕から2連敗。その責任を取り辞任した。選手補強に対するセンシ会長や、一部選手への試合スタイルへの非難などを、辞任後に発言していることから、チームとの確執はシーズン前からあったと見られている。しかしながら、悲願のスクデット獲得はならなかったものの、ローマのティフォージに常に支持され、それは辞任後も変わっていない。
2009年12月からロシアサッカー・プレミアリーグFCゼニト・サンクトペテルブルクの監督に就任。個に依存していたチームに戦術を植え付け、連動性に優れた組織的完成度の高い集団へと生まれ変えた。結果にこだわる「イタリア式」も取り入れ、イタリア式をよく知るアレッサンドロ・ロジーナ、ウディネーゼ時代の教え子アレクサンダル・ルコヴィッチ(2010年8月加入)を獲得した。2008年夏のUEFAスーパーカップ制覇を機に下降線を辿っていたゼニトに早速効果が表れ、ロシア・カップ制覇に導くと、過去2年優勝争いにすら絡めなかったリーグ戦でも好調をキープし、3年ぶり3度目となるリーグ制覇へと導いた。
しかし、2014年になると不振が続き、3月に解任された。
2016年1月13日、成績不振により解任されたリュディ・ガルシアの後任として、約7年ぶりに古巣ASローマの監督に復帰した〔ゼロトップ・システム」の生みの親。5年半ぶり復帰のスパレッティはローマをどう変える? - サッカーダイジェスト〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルチアーノ・スパレッティ」の詳細全文を読む




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