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ルイジ・ノーノ : ミニ英和和英辞書
ルイジ・ノーノ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルイジ・ノーノ : ウィキペディア日本語版
ルイジ・ノーノ[ちょうおん]

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ルイジ・ノーノ(Luigi Nono、1924年1月29日 - 1990年5月8日)は、イタリアヴェネツィア作曲家電子音楽ミュージック・セリエルにおける主導的存在の一人となった。
==経歴==

===i===
ノーノは1941年にヴェネツィア音楽院で理論をジャン・フランチェスコ・マリピエロに学び、その後大学で法学部を卒業している。1946年にブルーノ・マデルナヘルマン・シェルヘンに作曲を学びセリー技法を習得する。1955年にアルノルト・シェーンベルクの娘、ヌリアと結婚した。彼のセリエル技法は間接的にウェーベルンを経由せず、直接シェーンベルクからの影響が強い。
1950年にダルムシュタット夏季現代音楽講習会に出席。そこでエドガー・ヴァレーズカールハインツ・シュトックハウゼンなどの作曲家と出会うが、のちに完全に決裂し独自の道を歩んだ。1950年代前半には、室内楽のための「ポリフォニカ-モノディア-リトミカ Polifonica-Monodia-Ritmica」(1951)、声楽を含む管弦楽曲「ガルシーア・ロルカへの墓碑銘 Epitaffio per Federico García Lorca」(1952-1953)、合唱と管弦楽のための「ゲルニカの勝利 La victoire de Guernica」(1954)、混声合唱と室内楽のための「愛の歌 Liebeslied」(1954)が生まれている。その後、彼は音楽的現象としての完全性を追求し、次第に表層的なセリー技法こそ拒否するようになるが、点描性は保持し続けた。このため「時代遅れの表現主義者」としてシュトックハウゼンやブーレーズから批判された。50年代後半には、「インコントリ Incontri」(1955)、「断ち切られた歌 Il canto sospeso」(1955-1956)、「ディドーネの合唱 Cori di Didone」(1958)等を作曲。ノーノは「点描主義」にまだこだわっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイジ・ノーノ」の詳細全文を読む




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