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リーズ公 : ミニ英和和英辞書
リーズ公[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

リーズ公 ( リダイレクト:リーズ公爵 ) : ウィキペディア日本語版
リーズ公爵[こう]

リーズ公爵()は、かつて存在したイングランド貴族公爵位。
初代カーマーゼン侯爵トマス・オズボーン1694年に叙されたのに始まり、以降12代にわたって継承されたが、1964年に継承者が絶えて廃絶した。
== 歴史 ==

オズボーン家で最初に称号を受けたのは、(1596–1647)である。彼はイングランド議会庶民院議員を務め、1620年7月13日準男爵位を与えられた〔George Edward Cokayne ''Complete Baronetage, Vol. 1'' 1900 〕。
その息子である第2代準男爵サー・トマス・オズボーン(1632–1712)が一気に公爵まで昇進した人物である。彼も庶民院議員として政界入りし、1673年チャールズ2世の重用により大蔵卿に任命され、1678年に議会から弾劾されて失脚するまで国政を主導した。議会内に与党勢力「宮廷派」を形成することに努めた人物として知られる。名誉革命にも尽力したため、革命後の国王ウィリアム3世からも信任された。その間、爵位を次々と与えられ、1673年2月2日にはスコットランド貴族爵位「パース州におけるダンブレーンのオズボーン子爵(Viscount Osburne, of Dunblane in the County of Perth)」、1673年8月15日にはイングランド貴族爵位「ヨーク州におけるダンビーのラティマー子爵(Viscount Latimer, of Danby in the County of York)」と「ヨーク州におけるキヴァートンの第5代オズボーン男爵(Baron Osborne, of Kiveton in the County of York)」、1674年6月27日には「ダンビー伯爵(Earl of Danby)」、1689年4月9日には「カーマーゼン侯爵(Marquess of Carmarthen)」、そして1694年3月20日に「リーズ公爵(Duke of Leeds)」に叙せられた。初代公の死後、これらの爵位は初代公の男系男子によって継承されていく。
5代公フランシス・オズボーン(1751–1799)は第一次小ピット内閣において外務大臣(在職1783年-1791年)を務めたことで知られる。
5代公の最初の妻であるは、によるイングランド貴族爵位(男子がない場合に他に同じ親の女子/女系がなければ女子/女系相続可能)である「( Baroness Darcy de Knayt)」と「(Baroness Conyers)」を継承していた。そのため、5代公とアメリアの間の子である6代公(1775–1838)は、母の死後にこの2つの男爵位を継承した。さらに6代公の死後にはその長男である7代公(1798–1859)に継承されているが、7代公には子供がなく、7代公の死後、リーズ公爵位は5代公の次男初代(1777-1850)の長男第2代ゴドルフィン男爵(1802–1872)に継承され、一方ダーシー男爵位とコンヤーズ男爵位は6代公の娘の子であるに継承された。したがって8代公以降の当主はダーシ-男爵位とコンヤーズ男爵位を持たず、代わりに連合王国貴族爵位「ゴドルフィン男爵(Baron Godolphin)」を所持している。
その後、11代公まで8代公の直系で相続されたが、11代公(1901–1963)には娘しかなかった。そのため彼の死後には初代ゴドルフィン男爵フランシスの三男(1808-1889)の孫である(1884–1964)が12代リーズ公爵位を継承した。しかし彼も襲爵から1年たらずで子供無く死去した。他に継承資格者はなかったので、12代公の死をもってリーズ公爵位とすべての付随爵位が廃絶となった〔。''( Baroness Darcy de Knayt)」と「(Baroness Conyers)」を継承していた。そのため、5代公とアメリアの間の子である6代公(1775–1838)は、母の死後にこの2つの男爵位を継承した。さらに6代公の死後にはその長男である7代公(1798–1859)に継承されているが、7代公には子供がなく、7代公の死後、リーズ公爵位は5代公の次男初代(1777-1850)の長男第2代ゴドルフィン男爵(1802–1872)に継承され、一方ダーシー男爵位とコンヤーズ男爵位は6代公の娘の子であるに継承された。したがって8代公以降の当主はダーシ-男爵位とコンヤーズ男爵位を持たず、代わりに連合王国貴族爵位「ゴドルフィン男爵(Baron Godolphin)」を所持している。
その後、11代公まで8代公の直系で相続されたが、11代公(1901–1963)には娘しかなかった。そのため彼の死後には初代ゴドルフィン男爵フランシスの三男(1808-1889)の孫である(1884–1964)が12代リーズ公爵位を継承した。しかし彼も襲爵から1年たらずで子供無く死去した。他に継承資格者はなかったので、12代公の死をもってリーズ公爵位とすべての付随爵位が廃絶となった〔。''(Baroness Conyers)」を継承していた。そのため、5代公とアメリアの間の子である6代公(1775–1838)は、母の死後にこの2つの男爵位を継承した。さらに6代公の死後にはその長男である7代公(1798–1859)に継承されているが、7代公には子供がなく、7代公の死後、リーズ公爵位は5代公の次男初代(1777-1850)の長男第2代ゴドルフィン男爵(1802–1872)に継承され、一方ダーシー男爵位とコンヤーズ男爵位は6代公の娘の子であるに継承された。したがって8代公以降の当主はダーシ-男爵位とコンヤーズ男爵位を持たず、代わりに連合王国貴族爵位「ゴドルフィン男爵(Baron Godolphin)」を所持している。
その後、11代公まで8代公の直系で相続されたが、11代公(1901–1963)には娘しかなかった。そのため彼の死後には初代ゴドルフィン男爵フランシスの三男(1808-1889)の孫である(1884–1964)が12代リーズ公爵位を継承した。しかし彼も襲爵から1年たらずで子供無く死去した。他に継承資格者はなかったので、12代公の死をもってリーズ公爵位とすべての付随爵位が廃絶となった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リーズ公爵」の詳細全文を読む




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