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リトバルスキー ( リダイレクト:ピエール・リトバルスキー ) : ウィキペディア日本語版
ピエール・リトバルスキー[ちょうおん]

ピエール・リトバルスキーリトバルスキー1994、9頁によれば、母親がフランス風の名前を好んだためピエールという名がついた〕(Pierre Littbarski, 1960年4月16日 - )は、ドイツ西ベルリン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
== 概要 ==
1980年代のドイツを代表するドリブラーである。1981年に西ドイツ代表に選出されると3度のFIFAワールドカップに出場し、優勝1回(1990年のイタリアワールドカップ)、準優勝2回(1982年のスペインワールドカップ、1986年のメキシコワールドカップ)を経験した。20代後半になってからは代表で控えに回ることが多くなったが、1990年の代表引退までに73試合に出場し18得点を記録した。ドイツ代表では背番号7がトレードマークであった。
クラブでは選手生活の大半を1.FCケルンで過ごした。後年には背番号10を付けキャプテンを務め、同クラブの象徴的な存在であった。Jリーグ初年度の1993年にジェフユナイテッド市原へ移籍し、ブランメル仙台と合わせて日本で4年間プレーした後に現役引退した。
1999年に横浜FC初代監督に就任してチームをJリーグ昇格へと導いた。その後はドイツで指導者を務め、2005年に就任したシドニーFCではチームをオセアニア・クラブチャンピオンシップ優勝に導いた。2007年にはアビスパ福岡の監督に就任したが、結果を残せずに2008年7月に解任され、その後すぐに就任したイランリーグサイパFCでも好成績を残せなかった。スイス・スーパーリーグFCファドゥーツ監督を経て、2010年6月からVfLヴォルフスブルクのアシスタントコーチを務め、2011年2月にマクラーレン監督の解任に伴い、代理監督に就任、同3月にマガト監督就任とともに退任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエール・リトバルスキー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pierre Littbarski 」があります。




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