翻訳と辞書
Words near each other
・ リック・ミッチェル
・ リック・メアーズ
・ リック・メイヨール
・ リック・モラニス
・ リック・モートン
・ リック・ユーン
・ リック・ライアダン
・ リック・ライオダン
・ リック・ライツ
・ リック・ライト
リック・ラッシェル
・ リック・ランス
・ リック・ランセロッティ
・ リック・リオーダン
・ リック・リカート
・ リック・リズ
・ リック・リーチ
・ リック・リーチ (曖昧さ回避)
・ リック・ルビン
・ リック・ルード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リック・ラッシェル : ミニ英和和英辞書
リック・ラッシェル
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リック・ラッシェル : ウィキペディア日本語版
リック・ラッシェル

リック・ラッシェルRickey Eugene Reuschel , 1949年5月16日 - )は、アメリカの野球選手(投手)。メジャーリーグで活躍した。右投右打。
アメリカ合衆国イリノイ州クインシー出身。身長6フィート4インチ(約190cm)、体重235ポンド(約107kg)の巨漢投手で、ニックネームは「Big Daddy(ビッグ・ダディ)」。
1970年代前半から1980年代後半にわたって先発投手として活躍。
== 人物・来歴 ==
シカゴ・カブスに入団し、6月19日にメジャー初登板。その年21試合に登板(うち先発が18試合)して10勝をあげ、まで9年連続で2ケタ勝利をあげる。
ベストイヤーはで、この年20勝をあげる。チームも首位争いを繰り広げた。
シーズン途中でニューヨーク・ヤンキースに移籍。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこの年は8勝に終わったが、自身初のワールドシリーズに出場。
ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは、第4戦に先発(勝敗はつかず、チームは敗戦)。シリーズ自体もドジャースに敗れ、ワールドチャンピオンはならなかった。
故障のためには1シーズン登板がなく、に古巣カブスでカムバックを果たす。
には5勝。チームは地区優勝を果たすが、プレイオフのロースターから外される。また、チームもナ・リーグチャンピオンシップシリーズサンディエゴ・パドレスに敗れ、以来39年ぶりのリーグ優勝は果たせなかった〔カブスは、1945年以降現在までワールドシリーズ進出を果たせず、地元では「山羊の呪い」にかかっていると囁かれている。〕。その年限りで、フリーエージェント(FA)でピッツバーグ・パイレーツに移籍。
には、最下位のパイレーツで5年ぶりの2ケタ勝利となる14勝(8敗)をあげて復活。ゴールドグラブ賞カムバック賞ハッチ賞を受賞した。
は9勝16敗に終わるが、途中に地区優勝争いを繰り広げるサンフランシスコ・ジャイアンツに2選手との交換トレードで移籍。チームを以来の地区優勝に導く。また、自身2度目のゴールドグラブ賞を受賞した。
には19勝をあげ、40歳となったにも17勝をあげる。前半戦好調で、オールスターではナ・リーグの先発投手を務めるが、ボー・ジャクソンカンザスシティ・ロイヤルズ)に特大(約135m)の初回先頭打者本塁打を打たれた。
チームはこの年、チャンピオンシップシリーズで古巣カブスを破り、チームとしては以来、自身2度目のワールドシリーズ出場を果たす。第2戦に先発するが敗戦投手。チームもオークランド・アスレチックスに4連敗を喫した。その後は不振で、4月に戦力外通告され、そのまま現役を引退した。
2歳年上の兄ポール・ラッシェル1975年 - 1979年の間にメジャーで通算198試合に登板し、16勝16敗13セーブ、防御率4.51を記録。最初の三年間はカブスに兄弟で在籍していた。
体格の割には走力があり、登板しない試合で代走として起用されたこともある。打撃力も投手の割に良く、1974年~77年の間は毎年70打数以上で2割以上をマークした。通算でも1,115打数187安打(打率.168)、本塁打4、打点79を記録している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リック・ラッシェル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.