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リッキー・ブルーフ : ミニ英和和英辞書
リッキー・ブルーフ[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

リッキー・ブルーフ : ウィキペディア日本語版
リッキー・ブルーフ[ぶる]

リッキー・ブルーフ(Ricky Bruch、Björn Rickard "Ricky" Bruch、1946年7月2日 - 2011年5月30日)は、スウェーデンの陸上競技選手。1960年代から1980年代にかけて活躍した円盤投の選手で、1972年ミュンヘンオリンピックの銅メダリストである。
== 経歴 ==
ブルーフは身長199cm、体重135kgのヴァイキングを思わせる風貌で、スウェーデン南部のスコーネ地方で育った。
ブルーフが陸上選手として頭角を現し始めたのは1960年代中盤で、当時は砲丸投をメイン種目としていた。後に円盤投に種目を替え、1968年にはメキシコオリンピックに出場。59m28で初めてのオリンピックは8位に終わった。
1969年にはヨーロッパ選手権で2位となると、同年にはアメリカジェイ・シルベスターの世界記録に迫る68m04のヨーロッパ記録を樹立。世界の強豪の仲間入りを果たしていく。1970年に入ると、シルベスターとともに70mの大台を目指して激しい攻防が繰り広げられた。2人とも何度か70mを超えるスローを行ったが、風の影響や、円盤の重量の違反などでいずれも公認されることはなかった。
ブルーフは、1972年にストックホルムの試合で、シルベスターの世界記録に並ぶ68m40を出す。しかし、同年のミュンヘンオリンピックでは、チェコスロバキアルドビク・ダネク、シルベスターに次いで銅メダルにとどまった。
ブルーフは、その後伸び悩み、1974年のヨーロッパ選手権で3位となった以降は目立った成績を残さなくなる。1976年のモントリオールオリンピックには出場したものの、決勝に残ることなく敗れている。
ブルーフは、1970年代後半から競技を一旦中断したものの、1984年に38歳になりカムバックを果たす。1984年の9月から11月にかけて70m48、71m00、71m26と立て続けに70m台を記録。かつて何度も挑んだ70m台をクリアした。しかしすでにこのときの世界記録は71m86まで更新されていた。しかし、翌年、ブルーフはチームメートとのいざこざにより競技から引退することとなった。
ブルーフの71m26の記録は2008年現在でも世界歴代10位以内に入る記録であり、スウェーデン記録である。
2011年5月30日、膵臓癌のため死去〔Ruotsalainen yleisurheilulegenda kuoli Ilta-Sanomat 2011-5-30〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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