翻訳と辞書
Words near each other
・ ランベルシアン
・ ランベルタ (小惑星)
・ ランベルチアニンD
・ ランベルト
・ ランベルト-ベールの法則
・ ランベルトのW函数
・ ランベルトのW関数
・ ランベルトの法則
・ ランベルトベールの法則
・ ランベルト・ガルデルリ
ランベルト・ダ・スポレート
・ ランベルト・ディーニ
・ ランベルト・ベールの法則
・ ランベルト・マジョラーニ
・ ランベルト正積円筒図法
・ ランベルト正積方位図法
・ ランベルト正角円錐図法
・ ランベルト面
・ ランベール
・ ランベールの法則


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ランベルト・ダ・スポレート : ミニ英和和英辞書
ランベルト・ダ・スポレート[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランベルト・ダ・スポレート : ウィキペディア日本語版
ランベルト・ダ・スポレート[ちょうおん]
ランベルト・ダ・スポレートLamberto da Spoleto, 880年頃 - 898年10月15日)は、フランク・ローマ皇帝イタリア王(在位891年 - 898年)。
グイード・ダ・スポレートとアジェルトゥルデとの息子で、非常に若くして父から共同王位を授かり、891年にステファヌス5世により皇帝冠を授かった。同年の教皇の死後に後を継いだフォルモススはランベルトにイタリア王冠を授けることを強いられた。しかし教皇はケルンテンのアルヌルフに介入を求め、アルヌルフはイタリア北部に侵攻した。
894年に父が死ぬと、ランベルトは教皇フォルモススに皇帝冠を公認してもらうためローマへ向かったが、教皇はサンタンジェロ城に監禁されアルヌルフを待った。そして896年にアルヌルフにより開放されるとアルヌルフを皇帝として戴冠した。
フォルモスス教皇の死の少し後、アルヌルフは脳梗塞を患い戦闘を放棄することになった。
896年4月に教皇フォルモススが死去すると、母アジェルトゥルデたちは新教皇としてステファヌス7世(6世)を擁立した。翌897年にステファヌス7世はすでに死去している前教皇フォルモススに対し裁判を行った。このときフォルモススの死体を掘り出して裁判に出席させ、有罪判決を受けた死体はテーヴェレ川に捨てられた。これは歴史上『死体裁判』として悪名が高い出来事である。
教皇ヨハネス9世は898年にアルヌルフの戴冠を無効と宣言し、ランベルトを支持したが、ランベルトは同年狩りをしていて突然の死を迎えることとなった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランベルト・ダ・スポレート」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.