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ラロ・シフリン : ミニ英和和英辞書
ラロ・シフリン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ラロ・シフリン : ウィキペディア日本語版
ラロ・シフリン

ラロ・シフリン(''Lalo Schifrin''、1932年6月21日 - )は、アルゼンチン出身の作曲家編曲家ジャズピアニスト指揮者
ブリット』、『ダーティハリー』、『燃えよドラゴン』といった映画や、『スパイ大作戦』、『スタスキー&ハッチ』といったテレビシリーズの作曲家として有名。
==来歴==
本名は、ボリス=クラウディオ・シフリン。ブエノス・アイレス生まれ。父はヴァイオリン奏者。6歳からピアノを習い始め、エンリケ・ダレンボイム(ダニエル・バレンボイムの父)、次いで、アンドレア・カラリスに師事し、アルゼンチンの大学でクラシックを学んだ。ジャズにも傾倒していたが、1950年代初頭にパリに留学し、パリ国立高等音楽・舞踊学校で、オリヴィエ・メシアンシャルル・ケクランに師事した。
フランスで、ジャズ・ピアニスト、アレンジャーとしてキャリアを歩み始め、ヴォーグ、エディ・バークレーから何枚かのラテン音楽のレコードを録音した。1950年代終わりに、アルゼンチンに帰国し、ジャズ・ミュージシャンとして活躍した。同じくアルゼンチン人であるガトー・バルビエリとも共演した。1958年に、ディジー・ガレスピーに出会い、ガレスピーのために、『Gillespiana Suite』を書き下ろした。1960年にニューヨークでガレスピーに再会し、ディジー・ガレスピー楽団のピアニストアレンジャーとして参加し頭角を現す。アメリカ移住ザビア・クガートクインシー・ジョーンズなどの楽団にも参加、自身のバンドでも活躍した。これらのビッグバンドでの活動では、ジャズのみならず、ラテンボサノヴァなどの要素も消化していった。
シフリンは、ヴァーヴに所属していたため、スタン・ゲッツカウント・ベイシーサラ・ヴォーンジミー・スミスルイス・ボンファカル・ジェイダー等の作品に参加した。ヴァーヴが、映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の子会社だったために、シフリンは、間もなく、MGMの映画作曲家となった。この頃からシフリンはハリウッドに移り住み、映画やテレビシリーズのために数々の曲を書くことになる。
特に有名なのはテレビドラマスパイ大作戦』のテーマで、4分の5拍子を用いてダイナミックなサウンドを創り上げた。また、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』では、シンセサイザーも使用しオリエンタルなアレンジを施した。
映画音楽作曲家、ジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアと平行して、クラシック音楽の指揮者、作曲家としても活動し、『Invocations』『Concerto pour contrebasse』『Concertos pour piano Nos. 1 & 2』『Pulsations』『Resonances』といった作品を録音した。ホセ・カレーラスプラシド・ドミンゴルチアーノ・パヴァロッティといった、いわゆる「三大テノール」のツアーにも参加している。
1994年第47回カンヌ国際映画祭で審査員を務めた。これまでにグラミー賞に21度ノミネートされ4度受賞、アカデミー賞は6度ノミネートされている。
現在も、映画音楽の創作はもちろん、自身のアルバムも発表し活動している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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