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ヨーッモンコン・ウォー・センテープ : ミニ英和和英辞書
ヨーッモンコン・ウォー・センテープ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨーッモンコン・ウォー・センテープ : ウィキペディア日本語版
ヨーッモンコン・ウォー・センテープ[ちょうおん]

ヨーッモンコン・ウォー・センテープYodmongkol Vor Saengthep、男性、1990年12月24日 - )は、タイプロボクサー。元WBA世界フライ級暫定王者ナコーンラーチャシーマー県出身。ヨドモンコン・ポー・セーンチップともヨードモンコン・ウォーセンティップとも表記される。右フックとアッパーを武器に打ち合いに持ち込むスタイルを得意とする選手。ポンサクレック・ウォンジョンカムを始めとする多くの世界王者を育てたピヤラット・ワチララタナウォン(Piyarat Vacirarattanawong)がプロモーター兼会長を務めるペッインディー所属。
== 来歴 ==

2009年3月5日、ヨーッモンコンはバンコクライトフライ級のウェイトでプロデビューを果たし、4回KO勝ち。デビュー戦を白星で飾った。
その26日後に早くも2戦目を行い、2回KO勝ちを収めた。
2009年9月25日、後のWBC世界ミニマム級ユース王者でその2年後に井岡一翔に挑戦するヨードグン・トーチャルンチャイと対戦したが6回判定負けを喫しプロ初黒星を付けられた。
2010年2月19日、パトゥムターニー県パトゥムターニー大学ペッチバーンボーン・ゴーキャットジムと対戦し6回判定勝ち。
2010年8月27日、コーンケン県コンケン大学にてWBC世界ライトフライ級ユース王座決定戦をヘリ・プーノモと行い、7回1分27秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2010年11月26日、ソフラン・エッフェンディーと対戦し、10回3-0(97-93、2者が98-92)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。
2011年2月25日、リオネル・マーク・デュランと対戦し、10回3-0(98-92、97-93、96-93)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
2011年3月25日、前回の防衛からわずか1か月の強行軍でドニー・マバオと対戦し、強行軍の影響でヨーッモンコンが苦戦を演じ10回3-0(97-93、2者が96-94)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。
2011年5月27日、ロイロ・ゴメスと対戦し前戦同様ヨーッモンコンがまたしても苦戦を演じ10回3-0(2者が97-93、96-94)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。
2011年8月26日、ペン・シェンと対戦し、3回2分7秒TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。
2011年11月11日、ジャック・アミサと対戦したが、数多くのタイの男子ボクサーの相手になったことがあるベテランを迎えての試合だったが5回1分59秒負傷判定勝ちを収め6度目の防衛に成功した。
2012年5月31日、ジャック・アミサと再戦。前回はすっきりしない形での勝負の付き方だったが、アミサの6回2分20秒棄権により、すっきりする形で決着を付けて7度目の防衛に成功した。
2012年9月5日、アサド・アシフ・カーンと対戦し、4回KO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。
2012年11月12日、サミー・ハグラーと対戦し、6回TKO勝ちを収め9度目の防衛に成功した。
2013年1月25日、チソン・オマヤーノと対戦し、7回KO勝ちを収め10度目の防衛に成功した。
2013年4月26日、ジェリー・トムグダムと対戦し、5回2分10秒3-0(3者とも50-44)の負傷判定勝ちを収め11度目の防衛に成功した。
2013年6月28日、ジェーソン・ルザリートと対戦し、苦戦を演じたヨーッモンコンだったが10回3-0(96-94、2者が96-93)の判定勝ちを収め12度目の防衛に成功した。
2013年9月27日、この試合がデビュー戦となるアナンドと対戦し、3-0の判定勝ちを収め13度目の防衛に成功した。
その後WBA世界フライ級暫定王者江藤光喜への挑戦が決定しWBC世界ライトフライ級ユース王座を返上。
2013年11月29日、チョンブリー県にて世界初挑戦がいきなりのフライ級転向戦。江藤光喜と対戦し12回52秒TKO勝ちを収め暫定ながら世界王座獲得に成功した〔江藤光、激闘実らず最終回TKO負け Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月29日〕。
2014年3月4日、ナコーンラーチャシーマー県でWBA世界フライ級15位で元OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者粉川拓也と対戦し、12回2-0(115-114、116-113、114-114)の判定勝ちを収め僅かな差で苦しみながらも初防衛に成功した〔 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月4日〕。
2014年10月31日、アルゼンチンメンドーサ州サン・マルティンのテアトロ・グリエゴ・ファン・パブロⅡでWBA世界フライ級正規王者ファン・カルロス・レベコと対戦し、王座を統一し(記録上は2度目の防衛)、正規王座認定を目指す予定だったが〔ラウンドアップ レベコvsヨドモンコン2週間延期 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年10月16日〕、レベコが左腕上腕の筋肉を裂傷した為、試合は中止となった〔レベコ負傷、WBAフライ級タイトル戦は中止 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年10月24日〕。
2014年12月19日、同年10月31日に予定されながらもレベコの左腕上腕の筋肉の裂傷により再延期となっていた王座統一戦を初めてのアウェーでの試合となるアルゼンチン・メンドーサ州サン・マルティンのテアトロ・グリエゴ・ファン・パブロⅡでWBA世界フライ級正規王者ファン・カルロス・レベコと行い、2回に右フックでダウンを奪うも5回には右ボディフックでキャリア初ダウンを奪われあわや悶絶KO寸前まで追い詰められ、最後は連打をまとめられてヨーッモンコンのセコンドが棄権をレフェリーに申し受け試合終了。プロ初のKO負けとなる5回1分40秒KO負けを喫し王座統一に失敗、王座から陥落すると共にヨーッモンコンが1年1ヵ月保持していた暫定王座は正規王座に吸収される形で消滅した〔ダウン応酬 レベコがヨドモンコンをTKO Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月20日〕〔Reveco retains WBA flyweight title in thriller WBA公式サイト 2014年12月20日〕。
2015年1月17日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のレベコ戦に敗れ暫定王座から陥落したヨーッモンコンをWBA世界フライ級6位にランクインした〔World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2015年1月17日〕。
2015年11月27日、サラブリー県スタンプ・キャットニワットの王座返上に伴い空位となったPABAフライ級王座決定戦でイワン・キーと対戦し、5回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨーッモンコン・ウォー・センテープ」の詳細全文を読む




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