翻訳と辞書
Words near each other
・ ヨハン2世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン2世 (バイエルン公)
・ ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)
・ ヨハン3世
・ ヨハン3世 (スウェーデン王)
・ ヨハン3世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン3世 (バイエルン公)
・ ヨハン3世 (ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公)
・ ヨハン4世
・ ヨハン4世 (バイエルン公)
ヨハン6世
・ ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)
・ ヨハン7世
・ ヨハン7世 (ナッサウ=ジーゲン伯)
・ ヨハンクライフ
・ ヨハンクライフ (競走馬)
・ ヨハンシュトラウス
・ ヨハンス・ブレンステッド
・ ヨハンセナイト
・ ヨハンセン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヨハン6世 ( リダイレクト:ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯) ) : ウィキペディア日本語版
ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)[よはん6せい]

ヨハン6世(Johann VI, 1535年11月22日 - 1606年10月8日)はナッサウ=ディレンブルク伯。ナッサウ家の一族で、オラニエ=ナッサウ家の祖であるオラニエ公ウィレム1世の弟。とその妻ユリアーナ・ツー・シュトルベルクの間の次男。オランダではヤン・デ・アウデ(Jan de Oude)と呼ばれ、オランダ王家の祖の1人と見なされている。
兄ウィレム1世がオラニエ公領を相続したため、ナッサウ家の強大化を嫌った神聖ローマ皇帝カール5世の意向により、父ヴィルヘルムのディレンブルク伯位と所領はヨハンが相続した。八十年戦争において兄や弟たちとともに活躍し、ユトレヒト同盟の成立に尽力、またヘルダーラント州総督1578年 - 1581年)も務めた。その後、兄とは一線を画して、ドイツ西部のナッサウ家の所領の経営と、兄と自身の大勢の子たちの養育に当たった。
== 家族 ==
父や兄と同様に多くの子をもうけている。
1559年に(1537年 - 1579年)と最初の結婚をし、11子をもうけた。
* (ウィレム・ローデウェイク、1560年 - 1620年) ナッサウ=ディレンブルク伯、フリースラント州フローニンゲン州総督
* ヨハン7世1561年 - 1623年) ナッサウ=ジーゲン伯
* (ヘオルヘ、1562年 - 1623年) ナッサウ=ディレンブルク伯
* エリーザベト(1564年 - 1611年
* ユリアナ(1565年 - 1630年
* (フィリップス、1566年 - 1595年
* (1568年 - 1625年
* アンナ・ジビラ(1569年 - 1576年
* マティルデ(1570年 - 1625年
* エルンスト・カジミール(エルンスト・カシミール、1573年 - 1632年) ナッサウ=ディーツ伯、フリースラント州・フローニンゲン州総督
* (ローデウェイク・ヒュンテル、1575年 - 1604年
1580年に(1556年 - 1586年)と2度目の結婚をし、2女をもうけた。
* (1582年 - 1635年
* クニグンデ(1583年 - 1584年
1586年にと3度目の結婚をし、7子をもうけた。
* ゲオルク・ルートヴィヒ(1588年
* (ヨハン・ローデウェイク、1590年 - 1653年
* ヨハンネッタ・エリーザベト(1593年 - 1654年
* アンナ(1594年 - 1660年
* マグダレーナ(1595年 - 1633年
* アンナ・アマリア(1599年 - 1667年
* ユリアーネ(1602年
フローニンゲン州フリースラント州の総督はヨハンの家系が世襲したが、エルンスト・カジミールの曾孫ヨハン・ウィレム・フリーゾはウィレム3世(イングランドウィリアム3世)で直系が断絶したオラニエ=ナッサウ家を相続した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.