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ヨハネス・レジス : ウィキペディア日本語版
ヨハネス・レジス

ヨハネス・レジスJohannes Regis, 1425年ごろ – 1496年ごろ)は、フランドル楽派作曲家で、ブルゴーニュ楽派の巨匠ギヨーム・デュファイ秘書チヒ写本によって有名。
== 生涯 ==
1450年以前のことは何も知られていないが、ラテン語による姓名から、ジャン・ルロワ(Jehan Leroy)というフランス語名が割り出されている。1451年カンブレー近郊ソワニーの聖ヴァンサン教会の聖歌隊長に就任。この地位は当時は重要な肩書きであり、ジル・バンショワなど数名の有名な作曲家が、その教会に勤務し、あるいは教鞭を執っている。実際バンショワとも交流があったらしい。年代の分かっている限りで最古のレジスの作品は、1462年から1465年にかけて成立した、カンブレー大聖堂の写本に保存されており、そこにレジスが勤めていた可能性を示唆している。
1464年から1474年までデュファイ秘書になり、おそらく長年カンブレーに暮らしていたようだ。また1470年代初頭には、音楽理論家ヨハネス・ティンクトーリスによって当時の楽匠の一人に数えられていることから、急速に名声が広まったことが伺われる。
1496年の夏はやくに、レジスの得た地位が空席であると宣告され、無効化されていることから、おそらくそのころには故人であったと思われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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