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ヨニー・レップ : ミニ英和和英辞書
ヨニー・レップ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨニー・レップ : ウィキペディア日本語版
ヨニー・レップ[ちょうおん]

ヨニー・レップ(John Nicholaas "Johnny" Rep, 1951年11月25日 -)は、オランダの元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW(右ウイング)。
== 略歴 ==
レップはFCザーンダムでサッカーを学び、1972年夏にアヤックス・アムステルダムへ入団した。当時のアヤックスは1971年と1972年のUEFAチャンピオンズカップで二連覇を達成したばかりであったが、早々に出場機会を掴み、同年9月に敵地で行われたインターコンチネンタルカップCAインデペンディエンテ戦に出場した。レップはこの試合で2得点を挙げ勝利に貢献した。翌1973年のUEFAチャンピオンズカップ決勝、対ユヴェントスFC戦では決勝点を決め大会三連覇に貢献した。
1975年からは国外へ活躍の場を求め、スペインバレンシアCFへ移籍したが、成功を収めることは出来なかった。1977年からはフランスSCバスティアへ移籍すると本来のプレーを取り戻し、翌1978年のUEFAカップ準優勝に貢献した。1979年からはASサンテティエンヌへ移籍し、1981年のリーグ優勝に貢献した。
選手経歴の晩年はオランダへ帰国し、FCズヴォレフェイエノールトHFCハールレムでプレーを続けた後、1987年に現役を引退した。
オランダ代表としては1973年にデビュー。1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会と1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会の2大会に出場し2大会連続準優勝に貢献した。またアルゼンチン大会では3得点を記録した。その後、1981年にFIFAワールドカップ・スペイン大会予選でフランスに競り負け敗退が決まると、この年を最後に代表から退いた。レップはオランダ代表として国際Aマッチ42試合に出場し12得点を記録した。
引退後は指導者の道へ進み、オランダ国内の下部リーグに所属する複数のクラブで指揮を執った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨニー・レップ」の詳細全文を読む




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