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ヨアキム・ハンセン : ウィキペディア日本語版
ヨアキム・ハンセン

ヨアキム・ハンセンJoachim Hansen、男性、1979年5月26日 - )は、ノルウェー総合格闘家オスロ出身。ヘルボーイ・ハンセンMMA所属。ブラジリアン柔術黒帯。元修斗世界ウェルター級王者、元DREAMライト級王者。
柔術を技術ベースに持ち、寝技を得意とする選手だが、打撃の技術も高く、特に「キワ」の攻防に秀でている。必殺技はパウンド膝蹴り。また、グラウンド状態でボトムポジションになっても強烈かつ的確な蹴り上げを駆使できることも長所の一つである。
見るものに強烈な印象を与えるその風貌と、グラウンドでの凄まじいパウンドから日本では「北欧の処刑人」、海外では「ヘルボーイ」の異名をとる。また、修斗時代は日本人相手に全勝だったため、HERO'Sでは「戦慄の日本人キラー」と紹介された。
== 来歴 ==
1999年に北欧の地方大会『フィンファイト』で優勝。地方大会ながら、頭突き、踏みつけありのルールであった。総合が法律上禁止されている国も多い北欧では興行の開催自体が大変であり、対戦相手と車内で隣り合わせで同席したまま数時間移動したこともあったと語っている。
2002年12月14日、修斗で日本に初登場し、タクミに判定勝ち。
2003年3月18日、佐藤ルミナと対戦。ルミナの足関節を耐え抜き強烈なパウンド連打で1RTKO勝ち。
2003年8月10日、五味隆典に判定勝ちし、修斗世界ウェルター級王座を獲得した。
2003年12月14日、ビトー・"シャオリン"・ヒベイロ肩固めで一本負けし、王座から陥落した。
2004年7月16日、修斗でジェシアス・カバウカンチと対戦。判定勝ちを収めるものの、腕を負傷した。
2005年3月26日、HERO'S旗揚げ戦で宇野薫と対戦し、試合終了直前に左膝蹴りで逆転KO勝ち。
2005年7月17日、PRIDE移籍初戦となるPRIDE 武士道 -其の八-今成正和と対戦し、左膝蹴りでKO勝ち。続く9月25日、『PRIDE 武士道 -其の九-』のライト級GPに参戦。1回戦でイーブス・エドワーズに判定勝ちするも、準決勝で桜井"マッハ"速人に判定負け。
2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-ではPRIDEライト級王者の五味隆典への挑戦権を賭けてルイス・アゼレードと対戦。左ミドルキックでKO勝ち。しかしこの大会で五味がマーカス・アウレリオに敗北したため、タイトル挑戦権がアウレリオに移ってしまう。
2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006にて青木真也と対戦。序盤からグラウンドに引き込まれ、フットチョークで一本負けを喫した。
2007年2月25日、PRIDE.33ジェイソン・アイルランドと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
PRIDEの活動停止によりUFCからのオファーがあったものの、PRIDE時代の半分のギャラ提示だったとしてオファーを断り、キックボクシングなどの大会に出場していた〔Catching up with Joachim "Hellboy" Hansen - Iron Life Forums 〕。
2007年11月8日、修斗で光岡映二と対戦し、2Rにフロントチョークを極めかけられるなどして、判定負け。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!宮田和幸と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。
2007年12月25日、オスロに本社を置く、ウェブブラウザベンダー「Opera」とスポンサー契約を締結した。
2008年3月15日、DREAM.1のライト級グランプリ1回戦で朴光哲と対戦し、ボクシング出身の朴に殴り合いで打ち勝ち、判定勝ち。
2008年5月11日、DREAM.3のライト級グランプリ2回戦でエディ・アルバレスと対戦。スタンドでは壮絶な殴り合いを展開、グラウンドでは寝技テクニックと得意のパウンドで圧倒するが、2度ダウンを奪われたのが響き、判定負け。しかし、名勝負を繰り広げた両者に対して、会場の観客から総立ちのスタンディングオベーションが送られた。試合後、ハンセンはマイクを持つと「エディ、今までで戦った選手の中で君が一番強かったよ。日本のファンの前で負けてしまって残念だけど、ありがとうございました」とアルバレスを讃えて挨拶すると、マイクを握ったアルバレスが「それは少し違うと思います。私達、二人とも勝者です」と語り、ハンセンもそれに応えて互いに健闘を称え合った。
2008年7月21日、DREAM.5のライト級グランプリ・リザーブマッチでブラックマンバと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。さらに、準決勝で川尻達也に勝利したエディ・アルバレスが右眼球損傷、眼窩底骨折の疑いによりドクターストップとなり、ハンセンが決勝に進出。決勝では青木真也パウンドでTKO勝ちし、リベンジを果たすとともに、初代DREAMライト級王者とDREAMライト級グランプリ2008優勝者となった。リザーバーからの優勝を果たしたハンセンは「今も信じられない。防衛戦はエディとやりたい」と話し、2回戦で名勝負を繰り広げたアルバレスとリング上で抱き合った〔DREAM.5 ライト級グランプリ 2008 決勝戦 第10試合 DREAM公式サイト 2008年7月21日
リザーバーのハンセン、まさかのライト級GP制覇 BoutReview 2008年7月22日〕。
2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のセミファイナルでJ.Z.カルバンと対戦予定であったが、前日会見後の練習中に頭部を強打し、病院での診断の結果、脳震盪の症状が出ているとの診断でドクターストップとなった〔「処刑人が戻ってきたぜ!」 ヨアキム・ハンセンインタビュー DREAM公式サイト 2009年9月2日〕。
2009年10月6日、DREAM.11のライト級タイトルマッチで3度目となった青木真也と対戦し、2ラウンド残り4秒で一本負け。王座から陥落した。
2010年3月22日、DREAM.13でライト級からフェザー級に体重を落として、フェザー級王者ビビアーノ・フェルナンデスとタイトルマッチで対戦した。主に打撃の攻防となり、一進一退だったが僅差の判定負け。王座獲得に失敗し、DREAM初の2階級制覇はならなかった。
2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14高谷裕之と対戦し、右ストレートでKO負けを喫した。
2010年9月25日、DREAM.16所英男と対戦し、三角絞めで一本勝ち〔【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け!(3) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日〕。フェザー級転向後3戦目での初勝利となった。
2010年10月29日、スウェーデンで開催されたSuperior Challengeでサミ・アジズと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた〔【Superior C】6年半ぶりに北欧で勝ち名乗り――ヨアキム MMAPLANET 2010年10月30日〕。
2011年9月24日、DREAM.17で5年7か月ぶりに川尻達也と対戦し、3ラウンド中盤に肩固めで一本負けを喫した。
2014年11月29日、Superior Challengeフェザー級王座決定戦でディエゴ・ヌネスと対戦し、パンチでKO負けを喫し王座獲得に失敗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨアキム・ハンセン」の詳細全文を読む




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