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ユベール・ラタム : ミニ英和和英辞書
ユベール・ラタム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユベール・ラタム : ウィキペディア日本語版
ユベール・ラタム[ちょうおん]

ユベール・ラタム(Hubert Latham、1883年1月10日 - 1912年6月7日)は、フランスの初期の飛行家。
== 人物と業績 ==
祖父はロンドンのワイン商人で、父がフランス人の母と結婚して帰化し、その間にパリで出生した。家庭は裕福で、1906年からアフリカ、アジアへ足掛け3年の大旅行を楽しんでいる。
1905年2月12日、高名な気球飛行家だった従兄のジャック・フォール () の助手として、熱気球によるドーバー海峡の横断に成功した。
同年、モナコで開催されたモーターボートレースでアントワネット航空発動機会社()製のエンジンを使用したことから、同社のレオン・ルババッスール () 、ジュール・ガスタンビド() と親交を深め、ウジェーヌ・ウェルフェランジェ ()と共に、同社の専属操縦士を務めるようになった。
1906年、ロンドンの新興紙デイリー・メールが宣伝目的で飛行機によるドーバー海峡横断に賞金1,000ポンドを掛けた。この先着競争にルイ・ブレリオ ()やシャルル・ド・ランベール伯爵()らと呼応し、支援者を募って準備を進めた。
1909年7月19日に単葉機アントワネット IVを駆って海峡横断に初挑戦したが、カレー市郊外のサンガット村を出発して11km進んだ洋上でエンジンが故障し、不時着水して護衛艦に救助された。その後暫く悪天候に阻まれたが、翌週末の7月25日にブレリオが挑戦飛行を予定している事を知り、当日早朝に別の所有機アントワネット VIIで出し抜くことを急遽計画したものの、ルババッスール共々寝坊したため、むざむざブレリオに栄誉と賞金を成さしめた。
結局その2日後、同じアントワネット VIIで横断に再挑戦し、ドーバー目前でまたもや不時着水する不運に見舞われた。後にエッフェル塔を初めて飛び越すランベール伯も、この直前にウィルバー・ライト()からライト・フライヤーを購入したばかりで、両者に遅れを取っていた。
横断失敗以降もラタムは、アントワネット機で数々の高度記録を達成するなど活躍する傍ら、公開展示飛行で西欧、北米各地を巡業し人気者になったが、同社は1911年に倒産した。
1912年チャドで狩猟中、水牛(一説にはサイ)に角で突かれて客死した。横断飛行の出発点サンガットには、海峡を臨むラタムの銅像が建てられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユベール・ラタム」の詳細全文を読む




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