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ヤネス・ヤンシャ : ミニ英和和英辞書
ヤネス・ヤンシャ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヤネス・ヤンシャ : ウィキペディア日本語版
ヤネス・ヤンシャ

ヤネス・ヤンシャJanez Janša1958年9月17日 - )はスロベニア政治家。同国首相(第6・8代)を務めた。スロベニア民主党党首(1993年より)。
== 来歴 ==

=== ユーゴスラビア時代 ===
ヤンシャは1982年にリュブリャナ大学の防衛学科を卒業し、スロベニア社会主義共和国(当時)の防衛局の研修員となる。また若年期にはスロベニア共産主義者同盟に入り、青年部門を指導する立場に就く。このほかスロベニア社会主義青年同盟 (ZSMS) の基本人民防衛・社会自衛委員会の委員長も務める。ところが1983年、ユーゴスラビア人民軍の本質的な部分に対する反体制的な論文を発表した。1980年代後半にスロベニアで民主体制への変革が始まり、次第に言論の自由に対する規制が撤廃されるようになると、ヤンシャはユーゴスラビア人民軍を批判する論文を独立系の雑誌 ''Mladina'' で発するようになる。このためヤンシャは1984年に先述の委員長職の再選を阻まれ、1985年にはヤンシャのパスポートが没収される。ヤンシャは、その翌年から250を超える求職活動をしてきたが採用には至らず、また自身の論文の出版もできなくなったと述べている。この時期、ヤンシャはコンピュータプログラム作成や登山ガイドで収入を得ていた。その後の自由化で1986年には Journal for the Criticism of Science の事務の職を得て、のちには再び ''Mladina'' 上で論文の発表を再開することができるようになった。1988年5月30日、ヤンシャは ''Mladina'' の3人の記者とユーゴスラビア軍の士官イヴァン・ボルシュトネルとともに逮捕される。5人は軍事法廷で軍機を暴露したとされ、懲役刑が科せられた。この裁判は非公開で行われ、また被告には代理人がつけられず、さらにはスロベニア語ではなく、ユーゴスラビア軍で公式に使用されていたセルビア・クロアチア語で行われた。ヤンシャは18か月間の懲役に処せられ、当初はドブの凶悪犯罪者用の刑務所に収監されていたが、大衆の抗議を受けてイグの開かれた刑務所に移された。この事件は逮捕された4人の名前の頭文字をとってJBTZ裁判と呼ばれ、これが大衆の政権への抵抗運動の引き金となり、「スロベニアの春」とされる民主化への過程の始点となった。ヤンシャは収監から6か月後に釈放され、1990年5月の選挙までスロベニア語の政治週刊誌 ''Demokracija'' の編集長を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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