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モイーズ・キスリング : ミニ英和和英辞書
モイーズ・キスリング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

モイーズ・キスリング ( リダイレクト:モイズ・キスリング ) : ウィキペディア日本語版
モイズ・キスリング[ちょうおん]

モイズ・キスリング(Moïse Kisling、1891年1月22日 - 1953年4月29日)は、エコール・ド・パリ(パリ派)のポーランド人画家
キスリングは、20代後半には画家として成功し、パリ派の陽気で面倒見の良いリーダーだった。「モンパルナスの帝王」とも呼ばれた。自殺したパスキン、アルコール中毒のモディリアーニユトリロなど破滅型のイメージの強いエコール・ド・パリの画家たちの中では珍しく幸福な生涯を送った画家である。
スイスジュネーヴプティ・パレ美術館に、世界最大のコレクションがある。

== 生涯 ==
1891年1月22日ポーランドクラクフユダヤ人として生まれる。地元クラクフの美術学校で、印象派の影響を受けたユゼフ・パンキエヴィッチに師事する。
1910年、19歳でパリに出て、モンマルトルで画家として本格的に絵を描き始める。
1912年ピカソブラックらの活動拠点モンマルトルのバトー・ラヴォワール(洗濯船)に移り住む。
同年、サロン・ドートンヌアンデパンダン展に出品。
1919年、ギャルリー・ドリュエにて個展を開催。 好評を博し1920年代には画家として成功する。
第一次世界大戦では、自ら志願して外人部隊に従軍。ソンムの戦いで重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。その功績により1916年にフランス国籍を得る。
第二次世界大戦勃発後、再び志願して従軍するがフランス降伏後にアメリカに亡命し、ニューヨークワシントンD.C.で展覧会を開いた後にカリフォルニアに居を定めた。終戦後の1946年、フランスに戻る。
1953年4月29日、南フランスヴァール県の港町サナリー・シュル・メールにて没。同県のラ・ヴァレット=デュ=ヴァールのラ・ヴァレット墓地に埋葬されている

category:クラクフ出身の人物



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モイズ・キスリング」の詳細全文を読む




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