翻訳と辞書
Words near each other
・ ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ
・ ムスチスラフ・ヤロスラヴィチ
・ ムスチスラフ・ユーリエヴィチ
・ ムスチスラフ・ユーリエヴィチ (ノヴゴロド公)
・ ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ
・ ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ (スモレンスク公)
・ ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ (ロストフ公)
・ ムスチスラフ・ロストロポービッチ
・ ムスチスラヴリ
・ ムスチスラヴリ公
ムスチスラヴリ公国
・ ムスッペル
・ ムスツィスラウ
・ ムスティ
・ ムスティエ
・ ムスティエ・ヴァンタドゥール
・ ムスティエ文化
・ ムスティエ=サント=マリー
・ ムスティエ=ヴァンタドゥール
・ ムスティスラフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ムスチスラヴリ公国 : ミニ英和和英辞書
ムスチスラヴリ公国[むすちすらう゛りこうこく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公国 : [こうこく]
 【名詞】 1. dukedom 2. duchy 3. principality
: [くに]
 【名詞】 1. country 

ムスチスラヴリ公国 : ウィキペディア日本語版
ムスチスラヴリ公国[むすちすらう゛りこうこく]
ムスチスラヴリ公国()はスモレンスク公国分領公国として成立し、後にリトアニア大公国領となった公国である。首都はムスチスラヴリ(現ベラルーシムスツィスラウ)にあった。
== 歴史 ==
初代のムスチスラヴリ公1180年に公位に就いたムスチスラフ(後のキエフ大公ムスチスラフ3世)とされる。なお都市・公国名は別のムスチスラフ(キエフ大公ムスチスラフ1世)に由来する。公国領は現ムスツィスラウ地区・チェルィカウ地区(ru)・チャーヴスィ地区(ru)にあたり、ラドムリとリャスノ(ru)という都市が領域内に存在していた。はじめスモレンスク公国から分離したが、1197年に分領公国としての地位を有しつつ、再びスモレンスク公国に併合された。
13世紀末には既に、西方より拡張してきたリトアニア大公国と、ルーシ諸公国との国境に位置する公国となっていた。1359年にリトアニアのアルギルダスに占領され、リトアニア大公国領となった。公国の統治者はアルギルダスの子のカリガイラレングヴェニスへと変遷した。1386年にはスモレンスク公国が奪還を目指し、首都のムスチスラヴリの街を包囲したが、首都近郊のヴィフラ川の戦いでリトアニア軍に破れ、奪還は果たせなかった。このように、公国は国境の戦略的に重要な地であったため、リトアニアならびにポーランドの君主は、モスクワ大公国等に内応・従属することのないよう、ムスチスラヴリの公に対して寛容な政策を採っていた。
1500年 - 1503年のモスクワ・リトアニア戦争(ru)では、公国領は戦場となり、大きな被害を受けた。ムスチスラヴリの戦い(ru)ではリトアニア大公国軍は敗北を喫したが、モスクワ大公国軍はムスチスラヴリを落とすことはできなかった。1514年8月にモスクワ軍が攻め寄せると、ムスチスラヴリ公ミハイル(ru)ヴァシーリー3世に服従を誓った。しかし、オルシャの戦い(ru)でモスクワ軍が敗北すると、再びリトアニア側へとついた。
1526年、公国領域はリトアニア大公・ポーランド王ジグムント1世の直轄領となり、行政区画としてはスタロストヴォ(ru)となった。1566年にはムスツィスラウ・ヴォエヴォドストヴォ(ru)となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムスチスラヴリ公国」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.