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ミッケル・ケスラー : ミニ英和和英辞書
ミッケル・ケスラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ミッケル・ケスラー : ウィキペディア日本語版
ミッケル・ケスラー[ちょうおん]

ミッケル・ケスラーMikkel Kessler、男性、1979年3月1日 - )は、デンマークプロボクサーコペンハーゲン出身。元WBAWBC世界スーパーミドル級スーパー王者
== 来歴 ==
1998年3月20日、19歳の時にオーフスでプロデビュー。デビュー戦を1回KO勝ちで飾った。
2002年11月29日、コペンハーゲンのファルコナー・センターで行われたIBA世界スーパーミドル級王座決定戦で元WBO世界ライト級王者でWBA世界ライト級王者で元WBC世界スーパーミドル級王者のディンガン・トベラと対戦し、3-0(120-108、120-108、120-108)の判定勝ちを収め、王座獲得に成功した。
2003年4月11日、コペンハーゲンのK.B.ハーレンで行われたWBCインターナショナルスーパーミドル級王座決定戦でクレイグ・カミングスと対戦し、3回1分9秒KO勝ちを収め、王座獲得に成功した。
2003年10月24日、コペンハーゲンのK.B.ハーレンでヘンリー・ ポーラスと対戦し、9回2分46秒TKO勝ちを収め、WBCインターナショナル王座の初防衛を果たすと共にWBC世界スーパーミドル級王座への挑戦権を獲得した。
2004年3月13日、ブレンビーのブレンビー・ハーレンで元WBA世界ミドル級王者フリオ・セサール・グリーンと対戦し、1回1分20秒KO勝ちを収め、WBCインターナショナル王座の2度目の防衛に成功した。
2004年11月12日、ブレンビーのブレンビー・ホールでマニー・シアカ(プエルトリコ)を7回終了TKOで破り、WBA世界スーパーミドル級王座を獲得した。
2005年6月8日、オーストラリアシドニーシドニー・エンターテイメント・センターで元WBA世界スーパーミドル級王者でWBA世界スーパーミドル級3位のアンソニー・ムンディンと対戦し、3-0(116-112、120-108、117-113)の判定勝ちを収め、初防衛に成功した。

2006年1月4日、ブレンビー・ハーレンで元WBC世界スーパーミドル級王者でWBA世界スーパーミドル級7位のエリック・ルーカスと対戦し、10回1分51秒TKO勝ちを収めWBA世界スーパーミドル級王座の2度目の防衛に成功した。
2006年10月14日、コペンハーゲンのパルケン・スタディオンで行われたWBA・WBC世界スーパーミドル級王座統一戦で、WBC世界スーパーミドル級王者マルクス・バイエルドイツ)と対戦し、3回2分58秒KO勝ちを収めWBA王座の3度目の防衛に成功、WBC王座の獲得にも成功しWBA王座とWBC王座の統一に成功した〔ケスラー KO勝ちで王座を統一 - デンマーク AFPBB News 2006年10月15日〕。試合後、WBA規定によりケスラーはスーパー王座の認定を受けWBA世界スーパーミドル級スーパー王者となった。
2007年3月24日、パルケン・スタディオンでWBA世界スーパーミドル級5位のリブラド・アンドラーデ(メキシコ)と対戦し、3-0(120-108、120-108、120-108)の判定勝ちを収めWBA王座の4度目の防衛に成功、WBC王座の初防衛にも成功した〔ケスラー 判定の末にアンドラデを破りタイトル防衛に成功 - デンマーク AFPBB News 2007年3月25日〕。
王座統一後、ケスラーはビッグマッチを熱望し、WBO世界スーパーミドル級王者でイギリスで人気の高いジョー・カルザゲと対戦を望んだがなかなか実現できなかった。しかし、2007年11月3日に両者の対決がカルザゲの母国ウェールズミレニアム・スタジアムで実現。同対決はお互いにヨーロッパでは大変な人気を誇り、さらに3団体統一、全勝同士のスーパースター対決ということで大変な盛り上がりを見せた。
試合は統一戦にふさわしいハイレベルの攻防となり、両者は死力を尽くしたファイトを繰り広げた。ケスラーは随所で得意のワンツーやアッパーでカルザゲにクリーンヒットを浴びせたものの、旺盛な手数を誇るカルザゲのハイペースに巻き込まれ、12回0-3(112-116が2者、111-117)の判定負けでWBA王座の5度目の防衛とWBC王座の2度目の防衛に失敗し、両王座をカルザゲに譲り渡す結果となったが、既にボクシングの本場アメリカで高い評価を得ていたカルザゲと死闘を演じたことでケスラーが実力者であることをヨーロッパだけではなくアメリカでも認めさせる契機となった。
2008年6月21日、ブレンビー・ホールで行われたWBA世界スーパーミドル級王座決定戦でWBA世界スーパーミドル級4位のディミトリ・サーティソン(ドイツ)と対戦し、12回KO勝ちで王座に返り咲いた〔ケスレル、王座に復帰 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年6月23日〕。
2008年10月25日、ドイツ・オルデンブルクにて指名戦でWBA世界スーパーミドル級1位のダニロ・ハウスラー(ドイツ)と対戦し、3回KO勝ちで初防衛に成功した〔ミッケル・ケスラー 3ラウンドKO勝ちで防衛に成功 AFPBB News 2008年10月26日〕。
2009年9月12日、ヘアニンのメッセセンター・ヘアニンでWBA世界スーパーミドル級1位グスミエル・ペルドモ(ベネズエラ)と対戦し、4回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。同年11月3日にスーパー王座に認定され、自身2度目のWBA世界スーパーミドル級スーパー王者になった〔Sartison-Bozic for WBA Super Middleweight title WBA公式サイト 2009年11月3日〕。
2009年10月に開催されたSuper Six World Boxing Classicに参加。同年11月21日にアメリカ・カリフォルニア州オークランドオラクル・アリーナで行われたWBA世界スーパーミドル級スーパータイトルマッチでアンドレ・ウォード(アメリカ)と対戦。10回にウォードのバッティングでケスラーが右目上をカットし、11回負傷判定負けで3度目の防衛に失敗し王座から陥落した〔スーパー6に異変 ワードがケスレル攻略 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月23日〕。
2010年4月24日、メッセセンター・ヘアニンでカール・フローチイギリス)の持つWBC世界スーパーミドル級王座に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座返り咲きに成功した〔ケスレル、WBCで王座復帰 フロッチに判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2010年4月25日〕。
2010年9月25日にアラン・グリーン(アメリカ)と対戦予定であったが、目の負傷により試合をキャンセル。参加中であったSuper Six World Boxing Classicからも離脱した〔ケスラー眼疾 スーパー6離脱 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年8月26日〕。同日、WBCから名誉王座に認定された。
2011年6月4日、パルケン・スタディオンで行われたWBOヨーロピアンスーパーミドル級王座決定戦でメディ・ボウドラ(フランス)と対戦し、6回2分25秒TKO勝ちを収め、王座獲得に成功した。
2012年5月19日、パルケン・スタディオンで行われたWBC世界ライトヘビー級シルバー王座決定戦でSuper Six World Boxing Classicで対戦予定だったアラン・グリーン(アメリカ)と対戦し、4回17秒KO勝ちで王座獲得に成功した。
2012年12月8日、ヘアニンでWBA世界スーパーミドル級王者ブライアン・マギー(イギリス)と対戦し、3回TKO勝ちで3度目のWBA王座返り咲きを果たした〔ケスラーが王座返り咲き WBA世界S・ミドル級 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月9日〕。マギーは試合後ドーピング検査で覚せい剤の一種であるオキシロフリンとβメチルフェネチルアミンの陽性反応を示し6ヶ月の出場停止処分が下された。
2013年5月25日、イギリス・ロンドンにあるO2アリーナにてIBF世界スーパーミドル級王者カール・フローチと再戦し、WBA・IBF王座統一戦を行い、12回判定負けでWBA王座の初防衛に失敗すると共にIBF王座の獲得にも失敗、WBA・IBF2団体統一に失敗すると共にWBA王座から陥落した〔フロッチ、ケスラーに雪辱 2冠統一 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年5月26日〕。
2015年1月31日、上述のフローチ戦を最後に2年近く試合から遠ざかっていたケスラーはジェームス・デゲールジョージ・グローブスとの対戦よりもアンドレ・ウォードやカール・フローチとの再戦に意欲を見せていたが、再戦交渉に失敗し、練習するモチベーションを保てなくなった為、引退を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミッケル・ケスラー」の詳細全文を読む




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