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マーストン・ムーアの戦い : ミニ英和和英辞書
マーストン・ムーアの戦い[まーすとんむーあのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

マーストン・ムーアの戦い : ウィキペディア日本語版
マーストン・ムーアの戦い[まーすとんむーあのたたかい]

マーストン・ムーアの戦い(The Battle of Marston Moor)は、清教徒革命の内戦における国王軍(王党派)と議会軍(議会派)の戦闘である。アドウォルトン・ムーアの戦い以来、イングランド北部は国王軍がほぼ掌握していたが、この戦闘で議会軍の有利に一挙に傾いた。
議会軍はスコットランド盟約派と同盟関係をむすぶことに成功し、盟約軍に出兵を依頼した。これを受けて盟約軍はイングランド北部に侵攻、国王軍のはヨークまで軍を退き、態勢の立て直しをはかった。議会軍はフェアファクスの軍のみならず、マンチェスター伯エドワード・モンタギューのや率いるスコットランドカヴェナンター盟約)軍を加え、ヨークを包囲する構えを見せた。
だが、チャールズ1世は甥のカンバーランド公ルパートを救援にさし向け、ルパートはイングランド西部のチェシャーランカシャーを制圧してから東進、情報を受けた包囲軍はヨークから引き上げたためヨークの孤立はまぬがれた。ルパートはニューカッスルの軍と合流して議会軍を追跡、議会軍も応戦して両軍はヨーク近郊のマーストン・ムーアで対峙した。
左翼はオリバー・クロムウェル率いる東部連合軍および鉄騎隊、リーヴン伯のスコットランド盟約軍で構成された。戦闘はリーヴンの突撃によって始まり、雨の中国王軍右翼に突撃をかけて驚かせはしたが、国王軍の反撃にあい崩れつつあった。そこにクロムウェルが攻め込み、一撃で国王軍右翼を粉砕してしまった。国王軍右翼の指揮官バイロン男爵は軍を再結集させて反撃を試みたが、敗勢を覆すことはできなかった。
これをみて、中央に布陣していたルパートが自らの手勢とバイロン男爵軍の敗残兵をあわせ、クロムウェルの部隊に攻撃した。クロムウェルはこれも撃退し、ルパートはからくも捕虜とならずに戦場を脱した。フェアファクスら他の議会軍はクロムウェルの部隊と呼吸をあわせ、国王軍をほぼ完璧に打ち破った。ニューカッスルは大陸へ逃れ、ルパートはランカシャーへ退却した。
この戦いによって、イングランド北部で議会軍がある程度有利な情勢になった。またクロムウェルは功績をほぼ独占し、おおいに名を上げた。しかし議会軍全体はまだ弱く、全面攻勢をかけるほどの力はなかった。
== 参考文献 ==

* ジョン・ジョゼフ・バグリー著、海保眞夫訳『ダービー伯爵の英国史』平凡社、1993年。
* 清水雅夫王冠のないイギリス王 オリバー・クロムウェル―ピューリタン革命史リーベル出版、2007年。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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