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マリー・スミス・ジョーンズ : ミニ英和和英辞書
マリー・スミス・ジョーンズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリー・スミス・ジョーンズ : ウィキペディア日本語版
マリー・スミス・ジョーンズ[ちょうおん]

マリー・スミス・ジョーンズ(Marie Smith Jones, 1918年5月14日 - 2008年1月21日)は、アラスカ中南部でかつて話されていたイヤック語の最後の話者〔Mary Pemberton, "Last full-blooded Eyak and fluent speaker of Native language dies" , Associated Press (''Anchorage Daily News''), January 22, 2008.〕〔''Eyak''を発音記号であらわすと、"EE-yak"となる。 Ref したがって、「イヤック」と表記した。〕。ジョーンズの死去により、イヤック語は死語となった。
ジョーンズは1918年5月、アラスカ州コルドバで生まれた。彼女は最後の純血のイヤック族でもあり、イヤック族の名誉首長であった。2005年のインタビューで彼女が語ったところによれば、ジョーンズの本来の名前は「''Udach' Kuqax
*a'a'ch''」。これは「遠くから人々を呼ぶ声」という意味のイヤック語である〔Elizabeth Kolbert, "Last Words" , ''The New Yorker'', June 6, 2005.〕。
ジョーンズは1948年5月5日に漁師ウィリアム・F・スミスと結婚し、9人の子供を産んだが、子供たちはイヤック語を学ばなかった。彼女は1970年代アンカレッジへ引っ越した。そしてイヤック語の記録を残すため、彼女は言語学者のマイケル・クラウスと仕事をし、クラウスはイヤック語の辞書と文法書を完成させた。彼女の最後の兄は1990年代に亡くなっている。
その後、ジョーンズは政治に関して活発になり、国連で二度、平和と固有言語の問題について演説した。また、インドの環境問題についても活動した。若い頃、彼女はアルコール中毒で苦しんだが、50年代初頭に酒をやめた〔。しかし、亡くなるまでヘビースモーカーだった〔"Last Alaska language speaker dies" , BBC News, January 24, 2008.〕 。
2008年1月、彼女はアンカレッジの自宅で天寿を全うした。89歳だった。
== 関連項目 ==

*死語 (言語学)
*危機に瀕する言語

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・スミス・ジョーンズ」の詳細全文を読む




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