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マリア・マルダー : ミニ英和和英辞書
マリア・マルダー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・マルダー : ウィキペディア日本語版
マリア・マルダー[ちょうおん]

マリア・マルダー (Maria Muldaur, 1943年9月12日 - ) は、米国出身のシンガー1960年代より活躍し、ブルースジャズフォークなどアメリカのルーツ音楽を幅広く歌いこなしてきた。代表曲は、1973年のソロ・デビュー作収録の"Midnight at the Oasis" (「真夜中のオアシス」)。
==来歴==
マリア・マルダーは、1943年9月12日、ニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジに生まれた。出生時の名前は、マリア・グラシア・ロサ・ドメニカ・ダマト。幼い頃からカントリー・ミュージックR&Bなど様々な音楽を聴いて育ったマリアは、1960年代にグリニッジ・ヴィレッジがフォーク音楽のメッカとなると、ジャム・セッションなどに参加するようになった。この頃、本名のマリア・ダマト名義でジョン・セバスチャンデイヴィッド・グリスマンステファン・グロスマンの在籍するイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドに参加。1964年には、バンドのデビュー・アルバムがリリースされるものの、間もなくバンドは解散した。
続いてマリアはマサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を移し、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに参加する。ここでジェフ・マルダーと出会い結婚。1968年にバンドは解散するものの、二人は、ジェフ&マリア・マルダーとして活動を続けた。このデュオ名義では2枚のアルバムを発表している。
1972年、ジェフとマリアはデュオを解消し離婚する。ジェフは、ポール・バターフィールドとベター・デイズを結成。マリアは、ソロの道を歩んだ。翌1973年、マリアはソロ・デビュー作''Maria Muldaur''をリリースした。ここに収録された"Midnight at the Oasis" (「真夜中のオアシス」)は、ビルボードのポップ・チャートの6位という大ヒットを記録し、マリアの代表曲として知られるようになった。彼女のヴォーカルもさることながら、ギターのエイモス・ギャレットの個性的で自由奔放なプレイは、彼を名手として広く知らしめることとなった。
1974年には、セカンド・アルバム''Waitress in a Donut Shop''をリリース。イーヴン・ダズン時代からの彼女のレパートリーであった"I'm A Woman"や"It Ain't the Meat (It's the Motion)"を収録した同作は、ファーストと並び、彼女の代表作のひとつに数えられる。
1970年代末まで、リプリーズに在籍したマリアは、1980年代に入ると、インディ・レーベルより2枚のゴスペルのアルバムをリリースする。1984年には、ドクター・ジョンをゲストに迎え、ジャズとブルースのスタンダード集、''Sweet and Slow''をリリースした。
1990年代に入ると、マリアはニューオーリンズのブルース、R&B系レーベル、ブラックトップと契約。同レーベルから、ニューオーリンズとルイジアナ色を前面に押し出した''Louisiana Love Call''をリリースした。ブラックトップからもう1枚アルバムをリリースしたのち、カナダのストーニー・プレインからジャズ色を濃くした''Jazzabelle''をリリースした。
1996年の''Fanning the Flames''を始めとし、テラークからいくつかのアルバムをリリースしている。1999年の''Meet Me Where They Play the Blues''は、ブルース・ピアニスト、チャールズ・ブラウンとの共作となる予定であったが、彼の体調が悪化してしまう。チャールズは、病室でマリアとデュエットで"Gee Baby, Ain't I Good To You"1曲を吹き込み、アルバムに収録された。これは、チャールズの最後のレコーディングとなった。テラークからの作品としては、この他ペギー・リーのソングブックである''A Woman Alone with the Blues'' (2003年)、ボブ・ディランのソングブック''Heart of Mine'' (2006年)などがある。
2001年、マリアはストーニー・プレインに戻り、アルバム''Richland Woman Blues''をリリースする。これは、マリアが敬愛するメンフィス・ミニーら戦前ブルース・アーティスト達をカバーした作品で、ジョン・セバスチャン、タジ・マハールボニー・レイットら豪華ゲストを迎えてレコーディングされた。マリアは以後、''Sweet Lovin' Ol' Soul'' (2005年)、''Naughty, Bawdy, And Blue'' (2007年) と、同様に戦前ブルースをモチーフにしたコンセプト・アルバムを発表している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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