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マティルダ・オブ・イングランド : ミニ英和和英辞書
マティルダ・オブ・イングランド[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

マティルダ・オブ・イングランド : ウィキペディア日本語版
マティルダ・オブ・イングランド[らん]

マティルダ・オブ・イングランド(Matilda of England, 1156年 - 1189年6月28日)は、ザクセン公バイエルン公ハインリヒ獅子公の妃。モード(Maud)とも呼ばれた。ドイツ語名はマティルデ・フォン・エングラント(Mathilde von England)。
イングランドヘンリー2世と王妃アリエノール・ダキテーヌの長女(第3子)。1165年ルーアンにいたヘンリー2世とケルン大司教ダッセルとの間で、ドイツ諸侯とマティルダの縁組みが話し合われた。当時、対立教皇ウィクトル4世を推していたレスター伯の反対もあり、マティルダと神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の息子との結婚は流れてしまった。1167年に、ハインリヒ獅子公との結婚がまとまり、マティルダはドイツへ出発した。この結婚により、ハインリヒはフリードリヒに対抗する最も強力な敵となった。
マティルダは1172年からおよそ2年間、聖地へ向かった夫に代わって広大な所領を治めた。1174年、皇帝との衝突により領地を追われ、マティルダ夫妻は1182年にドイツを逃れて父の宮廷のあるノルマンディーへやってきた。ここで彼女は、吟遊詩人ベルトラン・デ・ボルンの「宮廷の愛」の詩の対象となり、「エレナ」「ラナ」と称された。マティルダ一家は1185年まで父の庇護を頼り、その後ザクセンへ帰国した。1189年6月、父の死の数週間後、ブラウンシュヴァイクで死去した。
==子供==

*マティルダ、またはリヒェンツァ(1171年/1172年 - 1210年) - ペルシュ伯ジョフロワ3世妃
*ハインリヒ5世(1173年/1174年 - 1227年) - ライン宮中伯
*ローター(1174年/1175年 - 1190年)
*オットー(1175年/1176年 - 1218年) - 神聖ローマ皇帝及びシュヴァーベン大公
*ヴィルヘルム(1184年 - 1213年) - リューネブルク公



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マティルダ・オブ・イングランド」の詳細全文を読む




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