翻訳と辞書
Words near each other
・ マケドニア国際空港
・ マケドニア地域
・ マケドニア地方
・ マケドニア属州
・ マケドニア帝国
・ マケドニア情報局
・ マケドニア戦争
・ マケドニア文語文法 (書籍)
・ マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
・ マケドニア朝
マケドニア朝ルネサンス
・ マケドニア正教
・ マケドニア正教会
・ マケドニア王
・ マケドニア王のリスト
・ マケドニア王の一覧
・ マケドニア王国
・ マケドニア王国 (ファイアーエムブレム)
・ マケドニア王朝
・ マケドニア王朝 (ビザンティン)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マケドニア朝ルネサンス : ミニ英和和英辞書
マケドニア朝ルネサンス[まけどにあちょうるねさんす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

マケドニア朝ルネサンス : ウィキペディア日本語版
マケドニア朝ルネサンス[まけどにあちょうるねさんす]
マケドニア朝ルネサンス(マケドニアちょうルネサンス、)とは、10世紀東ローマ帝国(ビザンツ帝国)における古典の復興と文化の高揚を指し、近年使われるようになった用語である。
== 前史 ==
7-8世紀の東ローマ帝国はイスラム帝国ブルガリア帝国の侵攻、聖像破壊運動や帝位をめぐる内乱などによる混乱が続き、後世「暗黒時代」〔井上浩一栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』(1998年 中央公論社 )P52およびP94を参照。〕とも呼ばれる時代であった。このため、文化面でも古代ギリシャローマ時代の文献が戦乱で散逸してしまうなど、停滞を余儀なくされていた。
文化の再生は9世紀のアモリア王朝末期から始まっており、9世紀の学者コメタスは忘れ去られていたホメロスを甦らせた。ギリシア文字の小文字が使われるようになり、それまで続けて書かれていた単語が区切られるようになるなど、ギリシア語のテキストを読みやすくするための改良が加えられた。アモリア王朝の皇帝テオフィロス(在位:829年 - 842年)の時代に活躍した数学者レオーンは古代ギリシャの自然科学や技術の復興を進め、東方国境から首都コンスタンティノポリスまでの狼煙による通信網〔この通信網ではアナトリア東南部のタウロス山脈から首都まで国境の異変が伝わるのに一時間もかからなかったという。前述の『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』P97を参照。〕や宮殿に吼えるライオンやさえずる鳥の像、動く玉座などの仕掛け〔これらの仕掛けは謁見者に皇帝の威力を示すための装置だった。これらの仕掛けのことはクレモナ司教リュートプラントがコンスタンティノス7世に拝謁した時の記録にも記されている。井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(2008年 講談社学術文庫)P160-161を参照。〕を考案した。
さらにテオフィロスの子ミカエル3世の治世には、コンスタンティノポリスのマグナウラ(大黄金)宮殿内に高等教育機関「メガ・ディダスカリオン」(「帝国大学」と訳されることが多い)が設置され、学問研究が進められた。そこでは数学者レオーンや当時を代表する大知識人フォティオス(後のコンスタンティノポリス総主教)らが教授を務め、古代ギリシャ文化の研究が進んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マケドニア朝ルネサンス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.