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マグ・ボダール : ミニ英和和英辞書
マグ・ボダール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マグ・ボダール : ウィキペディア日本語版
マグ・ボダール[ちょうおん]

マグ・ボダール(Mag Bodard、旧姓旧名 Marguerite Perato、1916年1月3日 トリノ - )は、フランスの映画およびテレビプロデューサー
== 来歴・人物 ==
1916年1月3日イタリアピエモンテ州トリノ県トリノに生まれる。
雑誌『ELLE』の特派員としてインドシナへ行き、ジャーナリストで作家のリュシアン・ボダール (Lucien Bodard) と結婚した。フランスへの帰国にあたって、その後日刊紙『フランス・ソワール』(''France Soir'') の記者でありディレクターであったピエール・ラザレフ (Pierre Lazareff) の仲間になった。しかしラザレフがテレビ放送『''Cinq colonnes à la une''』のチームに契約しなかったように、彼女はすべてのセリフが歌になっているミュージカルを演出したがっている新人に賭けることで、映画と関わった。それがジャック・ドゥミ監督であり、『シェルブールの雨傘』である。同作品は、1964年第17回カンヌ国際映画祭パルムドールを獲得した。48歳にして、異業種からの映画プロデューサーデビューであった。
そしてモーリス・ピアラ(『裸の幼年時代』''L'Enfance nue'')やアニエス・ヴァルダ(『幸福』)、ロベール・ブレッソン(『バルタザールどこへ行く』''Au hasard Balthazar'')、ミシェル・ドヴィルニナ・コンパネーズといったたくさんの才能を見出したり、維持したりした。クロード・ミレール(『いちばんうまい歩き方』''La Meilleure Façon de marcher'')とも関わった〔仏語版Wikipedia :fr:Mag Bodard の記述より。〕。ヌーヴェルヴァーグあるいはそれに先行する作家やフォロワーたちを起用した作品群は、いずれも日本でもみごとに公開されており、彼女の興行的側面での才能がいかんなく発揮された。
1977年には映画製作をやめるが、テレビに捧げられた活動はますます続行した。90歳近くになっても、つねにフランスのオーディオヴィジュアル界においてアクティヴである。彼女の製作会社は1963年の創立以来「パルク・フィルム Parc Films」といったが、1972年に解体されて「シネ・マグ・ボダール Ciné Mag Bodard」、略して「シネマグ Cinémag」となった〔。
2005年、映画監督で作家のアンヌ・ヴィアゼムスキーが、『''Mag Bodard, un destin''』(マグ・ボダール、ある運命)と題した52分のテレビドキュメンタリー作品を彼女に捧げた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マグ・ボダール」の詳細全文を読む




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