翻訳と辞書
Words near each other
・ マクラーレン・P1
・ マクラーレン・エレクトロニック・システムズ
・ マクラーレン・オートモーティブ
・ マクラーレン・スチュワート
・ マクラーレン・ステュアート
・ マクラーレン・メルセデス
・ マクリ
・ マクリアリィ郡 (ケンタッキー州)
・ マクリオー
・ マクリダシ
マクリヌス
・ マクリントック
・ マクリーシュ
・ マクリージー
・ マクリーズィー
・ マクリーン
・ マクリーン事件
・ マクリーン判決
・ マクリーン郡 (イリノイ州)
・ マクリーン郡 (ケンタッキー州)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マクリヌス : ミニ英和和英辞書
マクリヌス
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マクリヌス : ウィキペディア日本語版
マクリヌス

マルクス・オペッリウス・セウェルス・マクリヌス・アウグストゥス(〔In Classical Latin, Macrinus' name would be inscribed as MARCVS OPELLIVS SEVERVS MACRINVS AVGVSTVS.〕 164年頃 - 218年6月8日)は、第22代ローマ皇帝カラカラ帝の暗殺によるセウェルス朝断絶後に即位した。ムーア人の血を引く初めての皇帝であり、また元老院の議席を持たずに皇帝に推挙された人物としても最初となる〔"Macrinus, by race a Moor, from Caesarea... one of his ears had been bored in accordance with the custom followed by most of the Moors", Cassius Dio, ''Dio's Rome (bk 79)'', Kessinger Publishing, 2004, v.6, p.21〕。
==即位に至る経緯==
属州マウレタニアの植民市ロル・カエサリア(現アルジェリアシェルシェル (en))で騎士階級の一族に生まれ、上流階級としての教育を受けたと伝えられる。成人後は優れた法律家として名を上げ、当時の皇帝であったセプティミウス・セウェルス帝にお抱えの官僚として宮殿に招かれた。セウェルス帝の死後、息子カラカラがその弟ゲタを殺害して皇帝に即位すると、近衛隊長に抜擢された。マクリヌスはカラカラ帝からの信頼をおおむね得ていたものの、近衛隊長の常として帝位を狙っているのではないかと噂を流布された。マクリヌスは些細な理由で周囲を弾圧する暴君が自分に矛先を向けるのを恐れていたとされ、この噂がカラカラ帝の耳に入らぬように苦慮したという。実際、カラカラは次第にマクリヌスにも不審を抱いて粛清を検討していた、とカッシウス・ディオは記録している。
217年、カラカラ帝がパルティアとの戦争を計画していた時、行軍中の本陣にはマクリヌスも幕僚の一人として加わっていた。遠征の途中、気紛れに軍列を離れたカラカラ帝に、彼は近衛兵隊を率いて従ったが、その途上の4月8日にカラカラ帝は、近衛兵ユリウス・マルティアリス(Julius Martialis)に刺殺された。マルティアリスは個人的にカラカラ帝に恨みがあり、放尿中の皇帝を後ろから刺し、逃亡しようとしたところを他の兵士に殺害されたという。マクリヌスはカラカラとマルティアリスの遺骸を回収したが、一部の人間はマクリヌスが事件をけしかけたのではないかと噂した。カラカラに実子はなく、縁者にも男子がいなかったことで、セウェルス朝は断絶した。
4月11日、マクリヌスは帝位請求者に名乗りを上げた。彼は息子ディアドゥメニアヌスに「アントニヌス」の名を自称させ、アントニヌス朝の復古を大義名分に掲げた。
マクリヌス親子はそれまでの皇帝と異なり、元老院議員ではなく騎士身分であったにもかかわらず、元老院は帝位を承認した。マクリヌスが優れた法律家として実務面で信頼を得ていたことに加え、元老院に敬意を持って接したためと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マクリヌス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.