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マイク・オールドフィールド : ミニ英和和英辞書
マイク・オールドフィールド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マイク・オールドフィールド : ウィキペディア日本語版
マイク・オールドフィールド[ちょうおん]

マイク・オールドフィールドMike Oldfield, 1953年5月15日 - )は、イギリスミュージシャン。デビューアルバム『チューブラー・ベルズ』や1983年のシングル『ムーンライト・シャドウ』のヒットで世界的に知られる。
== 来歴 ==
;最初期
早くから音楽に触れ、幼少時よりピアノを、10歳からギターを習い始める。1967年、姉のサリー・オールドフィールドと共にフォークデュオ「サリアンジー(The Sallyangie)」を結成し、『チルドレン・オブ・ザ・サン』(1968年)を発表。アルバム一枚でデュオは解散するが、ロンドンでのセッション活動を通じてケヴィン・エアーズデビッド・ベッドフォードと知り合い、ケヴィン・エアーズのバック・バンド「ザ・ホール・ワールド」でベースを担当。『月をうて(Shooting at the Moon)』(1970年)と『Whatevershebringswesing』(1971年)の2枚のアルバムに参加した。バンド解散後はセッション・ミュージシャンをしながら、デビッド・ベッドフォードから音楽理論を学ぶ。
;デビュー
1973年5月、リチャード・ブランソン主宰のヴァージン・レコードの第一弾アーティストとして、アルバム『チューブラー・ベルズ』でデビュー。2400回もの多重録音を繰り返して制作されたこの壮大なアルバムは全英1位を記録。 特徴あるイントロのフレーズがアメリカ映画『エクソシスト』(1974年)にも使用され、さらに知名度が上がった。〔 プロフィール|Mike Oldfield|HMV ONLINE 〕。現在までにイギリス国内で260万枚を売り上げ、全英歴代トップ30にランクインするほどの大ヒットとなった。同作は現在でもプログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされている〔マイク・オールドフィールド - goo 音楽 〕。
続いて1974年に『ハージェスト・リッジ』(全英1位)、1975年に『オマドーン』(全英4位)とアルバムを出すも、成功によって生じた精神的重圧に苦しみ長期間の療養生活に入る。1978年に『呪文』を発表してカムバックを果たした後は、アルバムを発表するだけでなく精力的にツアーを行うようにもなり、翌1979年にはヨーロッパでのライヴの模様を収めた『エクスポーズド』をリリースしている。
;1980年代
1982年5月26日、渋谷公会堂で初来日公演を行った。
* 1日のみの公演。招聘元は、ウドー音楽事務所。公演では、主にアルバム「プラチナム」(来日時での最新作)、「チューブラー・ベルズ」、「オマドーン」などからの楽曲などを演奏。マギー・ライリー参加。(公演パンフレットの販売なし。レコードやTシャツ等の物販はあり。)
1980年代に入ってからも『ファイブ・マイルズ・アウト』(全英7位)、『クライシス』(全英7位)と優れた作品を続けて発表。
この頃から、時代の変化に合わせて従来のプログレッシブ・ロックからのアプローチをやめ、所属レコード会社であるヴァージンのイニシアティヴの下でポップ寄りの作品を発表するようになる。マギー・ライリーのボーカルによる『クライシス』収録の「ムーンライト・シャドウ」はヨーロッパ中で大ヒットし、その後アニー・ハズラムアゼリン・デビソンがカヴァーする代表曲となる。以降も様々なボーカリストを起用し、「ファミリー・マン(ホール&オーツのカバーで知られる)」、「トゥ・フランス」、「トリック・オブ・ライツ」、「シャドウ・オン・ザ・ウォール(ロジャー・チャップマンのボーカル)」、「アイランズ(ボニー・タイラーのボーカル)」、「イノセント」、「キリング・フィールドのテーマ」、「ヘヴンズ・オープン(マイク自身が歌う)」などのヒット曲を生み出す。
;1990年代から現在
1992年ワーナーに移籍し、代表作『チューブラー・ベルズ』の続編『チューブラー・ベルズ II』を発表。同作は全英1位を記録した。1998年にはさらなる続編となる『チューブラーベルズIII』を発表。同作のワールドプレミアム公演には、かつてレーベル移籍問題で確執が取りざたされたリチャード・ブランソンが観客として会場に訪れた。
2004年にはマーキュリーに移籍。2012年にはロンドンオリンピックの開会式で演奏を行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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