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ポール・ヘイマン : ミニ英和和英辞書
ポール・ヘイマン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポール・ヘイマン : ウィキペディア日本語版
ポール・ヘイマン[ちょうおん]

ポール・ヘイマンPaul Heyman1965年9月11日 - )は、アメリカ合衆国プロレスリング・プロモーター、ブッカーコメンテーターおよびレスラーのマネージャーである。ニューヨーク州スカーズデイル出身のユダヤ系アメリカ人。通称ポール・E
== 来歴 ==
熱狂的なプロレスファンとして育ち、"Pro Wrestling Illustrated" などの業界誌のライターやカメラマンを経て、1986年マネージャーとしてデビュー。
ポール・E・デンジャラスリー(''Paul E. Dangerously'')の名前を用い、いつでも契約話に応じられるよう携帯電話を手放さないヤッピーのドラ息子というキャラクターのもと、ヒールのポジションで活動。ジェリー・ローラージェリー・ジャレット(後のTNA創設者)の主宰するCWAバーン・ガニアAWAを経て、WCWへの移行期にあったNWAジム・クロケット・プロモーションズに移籍。デンジャラス・アライアンス(''The Dangerous Alliance'')なるヒール軍団を組織し、ストーンコールド変身前の "スタニング" スティーブ・オースチンらをマネージメントした。
1993年9月、フィラデルフィアのインディー団体ECWのプロデューサーに就任。独自のプロレス感によるマッチメイクが多くのプロレスマニアに受け入れられ、1996年にはECWを買収、オーナーとしてECWの全国展開を計画し、WCW、WWEに次ぐ第3勢力にまで成長させた〔。しかしプロレスについては天才的な彼も会社経営の才能には恵まれず、ECWは資金繰りに苦心して自転車操業を繰り返しついには倒産、ヘイマンも自己破産をすることとなった。
2001年にECWが崩壊した後は、活動の中心をWWEに移す。一時退団していたジェリー・ローラーに替わってカラー・コメンテーターを務めていたが、ECW・WCW連合軍(アライアンス)が結成されると連合軍に付き、連合軍の敗北と同時に姿を消す。その後、ブロック・レスナービッグ・ショーなどヒールのレスラーのマネージャーを歴任した。
2003年から2004年にかけてはスマックダウンのGMを務めた。一時期ブックを担当し、カート・アングルクリス・ベノワが名勝負を毎週のように繰り広げたことで高い評価を得ていた。
以後は裏方のクリエイティブ業務に専念していたが、2005年に行われたPPV "WWE ECW's One Night Stand" およびそれに向けたプロモーションにおいて再びWWEの表舞台に立つ。
2005年7月10日より、ジム・コルネットの後任としてOVWのヘッド・ブッカーに就任。その後2006年4月、WWE傘下のブランドとしてECWが復活するにあたり、OVWのブッカー職をアル・スノーに引き継ぎ再びECWのトップに就いたが、番組の視聴率は低迷し〔、同年12月にWWEを解雇された。
WWE退団後、2010年8月、米メディアであるMMA Fightingのインタビューにて総合格闘技に興味が赴き、Strikeforceを買収するのではないかという噂が流れたが、本人は否定した。10月、再びMMA Fightingのインタビューに応じ、今後は新しい活動として総合格闘技関係の広告事業に携わるとし、Looking for Larryなる会社を設立して格闘家たちの紹介映像を製作していくことを明かした。
2012年5月、ブロック・レスナーの法律アドバイザーとしてWWEに復帰した。レスナーの一時離脱後はCMパンクのマネージャーを担当。パンクの助けになるように行動し、権力欲のためにRAWのGMだったAJに結婚を申し込むなど、自身がGMになろうとしたこともあった。2013年2月、ことあるごとにパンクに得な行動をするシールドブラッド・マドックスに仕事を頼んでいたことが判明(本人は否定し続けた)、ビンス・マクマホン会長によって解雇されかけたものの、レスナーがマクマホンを攻撃したことで事なきを得た。
その後もレスナーおよびパンクのマネージャーを続け、2013年5月にはカーティス・アクセルを新しい顧客に迎えたが、自身の元を離れたパンクに怒りの矛先を向け、アクセルやレスナーと共にパンクとの抗争を開始。9月15日のナイト・オブ・チャンピオンズ2013では自身とアクセルが組んでのイリミネーション式ハンディ戦を行い、ライバックの乱入で勝利を収めた。以降は彼も仲間に引き入れ、10月27日のヘル・イン・ア・セル2013ではライバックと組んでセル形式での再度のハンディ戦に挑んだが敗退、ライバックとアクセルに見切りをつけられた。
2013年12月30日のRAWにて、COOのトリプルHとの友好的な関係を手に入れることに成功。レスナーが掲げたWWE世界ヘビー級王座挑戦はかなわなかったものの、レッスルマニア30でのレスナーのマッチメイクを自由に決定できる権利を獲得。2014年4月6日開催のWM30ではレスナーとジ・アンダーテイカーとの試合が行われ、レスナーが勝利を収めた。ヘイマンはことあるごとにそのことを吹聴して回りつつ、WM30の翌日のRAWからはセザーロを新たな顧客に加えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポール・ヘイマン」の詳細全文を読む




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