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ポルトガルの植民地戦争 : ミニ英和和英辞書
ポルトガルの植民地戦争[ぽるとがるのしょくみんちせんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

植民 : [しょくみん]
  1. (n,vs) colonization 2. colonisation
植民地 : [しょくみんち]
 【名詞】 1. colony 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

ポルトガルの植民地戦争 : ウィキペディア日本語版
ポルトガルの植民地戦争[ぽるとがるのしょくみんちせんそう]

ポルトガルの植民地戦争()は、1964年から1974年にかけてポルトガルエスタド・ノヴォ)政府軍と、ポルトガルのアフリカ植民地の独立勢力との間で争われた戦争である。旧植民地では解放戦争()とも呼ばれる。
== 概要 ==
第二次世界大戦の後、多くのヨーロッパ諸国が植民地の独立運動に手を焼いて独立を承認したのと対照的に、ポルトガルのエスタド・ノヴォ体制は数百年にわたる植民地支配を放棄しようとしなかった。これら植民地は1951年から1960年代にかけ、公式には海外州とされた。しかし、実質的には植民地時代とほぼ変わらぬ統治が続いており、それに不満を募らせた海外州の住民は徐々に独立運動を激化させ、1960年代には、多くの武装独立運動が出現し始めていた。それらの多くはCONCP傘下の共産主義政党によって率いられていた。独立運動は特にアンゴラモザンビークポルトガル領ギニアにおいて活発となった。この戦争中に、数々の残虐行為が、戦争に関与した全ての勢力によって生じた。
戦争期間を通じて、ポルトガル政府は国際社会からの非難を受け、武器の禁輸措置や経済制裁にも対処せねばならなかった。独立ゲリラの統合組織にはアンゴラのMPLAUNITAFNLAギニアビサウPAIGCモザンビークFRELIMOなどがあったが、独立戦争の成功は、これらの組織による戦果だけでなく、ポルトガル本国で1974年4月に起きたクーデターカーネーション革命)の影響も大きい〔António Pires Nunes, Angola 1966-74 〕。ポルトガル軍部の一派MFAは終わりなき植民地戦争を終結させるべく、リスボンで蜂起、政権を掌握した。革命政府は植民地に残る軍を撤退させ、独立ゲリラへ迅速に支配権を明け渡した。
この1974年のカーネーション革命による戦争の終結は、新たな独立国からの、ヨーロッパ系、アフリカ系を問わず、数十万にのぼるポルトガル市民、軍関係者の引き揚げをもたらした〔Portugal Migration , The Encyclopedia of the Nations〕 。最大の海外州であるアンゴラとモザンビークからは、百万人を超える人々が立ち退いた(レトルナードス)。この一連の移住は、平和裏に行われた移住のうち史上最大の規模であった。しかし、独立を勝ち取った旧植民地は順風満帆とはいかず、アンゴラとモザンビークでは凄惨な内戦が数十年続き、数百万の死者および難民を生んだ〔The Decolonization of Portuguese Africa: Metropolitan Revolution and the Dissolution of Empire by Norrie MacQueen - Mozambique since Independence: Confronting Leviathan by Margaret Hall, Tom Young - Author of Review: Stuart A. Notholt African Affairs, Vol. 97, No. 387 (Apr., 1998), pp. 276-278 , JSTOR〕。 経済や社会状況の悪化、共産主義による独裁、汚職、貧困、不平等、政策の失敗といった諸問題は、独立当初の情熱を腐らせていった。社会秩序と経済発展の水準はポルトガル植民地時代と変わらず、むしろそれに追いつくことが独立後の課題となっている〔Mark D. Tooley, Praying for Marxism in Africa , FrontPageMagazine.com (Friday, March 13, 2009)〕
〔Mario de Queiroz,AFRICA-PORTUGAL: Three Decades After Last Colonial Empire Came to an End 〕。
ポルトガルは、1415年セウタを攻略しアフリカ大陸に植民地を築いた最初の西欧国となったが、(飛び地領であるスペイン領を除いて)アフリカ大陸から撤退した最後の西欧国ともなった。ポルトガル旧植民地は独立国となり、アンゴラはアゴスティニョ・ネト、モザンビークはサモラ・マシェル、ギニアビサウではルイス・カブラル大統領となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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