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ボリス・アンネンコフ : ミニ英和和英辞書
ボリス・アンネンコフ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ボリス・アンネンコフ : ウィキペディア日本語版
ボリス・アンネンコフ
ボリス・ウラジーミロヴィッチ・アンネンコフ(、1889年 - 1927年8月)は、ロシア帝国白軍軍人。少将。コサック
== 経歴 ==
1906年、オデッサ幼年団(幼年学校)、1908年、モスクワ士官学校を卒業。第一次世界大戦に従軍し、1915年~1917年の間、パルチザン支隊長、シベリア・コサック師団パルチザン連隊長を務めた。1918年3月、オムスク近郊のアタマンスカヤで非公式に創設されたシベリア・コサック管区のアタマンに選出される。
事後、白軍運動に身を投じ、部隊と共にオムスクに移り、パルチザン支隊「師団」を創設した。1918年1月、シベリアのシャラポフスカヤに駐屯。同年3月12日、ソビエト当局に対して決起し、3月19日、オムスクを襲撃。この反乱は、5月までに鎮圧され、オムスクは再びボリシェヴィキの手に渡った。チェコ軍団の反乱後、アンネンコフの部隊は勢力を回復し、1918年6月~11月の間、西シベリアでボリシェヴィキと戦った。
1918年8月、スラヴゴロドで蜂起し、ボリシェヴィキを虐殺した。アンネンコフの部隊は、同年10月までウラル戦線で戦い、10月23日、セミレーチエ・コサック軍のアタマンの指揮下に入った。1919年5月、部隊と共にカザフスタン、セミレーチエに移り、同年10月、配下部隊を「アタマン・アンネンコフ・パルチザン師団」に改編した。1919年8月、アレクサンドル・コルチャークにより、独立セミレーチエ軍司令官に任命。
赤軍に敗れた後、1920年5月27日、部隊と共に中国に渡り、ウルムチに駐屯した。中国当局により逮捕され、刑務所に収監されたが、日本イギリスの助けにより1924年2月に釈放された。
1926年4月7日、ソ連内務人民委員部(NKVD)のエージェントにより誘拐され、ソ連に連れ出された。取調は2年以上に渡り、「内戦時の残虐行為」で死刑を言い渡された。1927年8月24日、セミパラチンスクにおいて銃殺。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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