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ペドロ・パブロ・ダルトネル : ミニ英和和英辞書
ペドロ・パブロ・ダルトネル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ペドロ・パブロ・ダルトネル : ウィキペディア日本語版
ペドロ・パブロ・ダルトネル

ペドロ・パブロ・ダルトネル・エンシーナ(Pedro Pablo Dartnell Encina, 1873年12月24日 - 1944年9月26日)は、チリ軍人チリ空軍の前身であるチリ陸軍航空隊の創設に携わった他、1925年のクーデター後の軍事政権において大統領代行を務めた。最終階級は中将(General de división)。
==軍歴==
1873年12月24日、ダルトネルはチリのリナーレスにて父ロベルト・ダルトネル・ロゼール(Robert Dartnell Lother)と母カルメン・エンシーナ・イバニェス(Carmen Encina Ibáñez)の間に生を受けた。チリ大学では技術者としての専門教育を受け、その後チリ陸軍工兵科へと進む。1885年に軍事大学に士官候補生(Cadete)として入学し、1891年まで在学した。1891年1月15日下級中尉(Subteniente)に任官する。チリ内戦には工兵隊の一員として従軍し、議会軍側で戦った。内戦中に彼は大尉(capitán)まで昇進し、終戦後はチリ大学に戻り土木工学について学んだ。チリ陸軍の大改革が始まると彼は近代陸軍の調査を行うべくヨーロッパへと派遣され、1897年から1899年にかけてベルギードイツ帝国スペインなどに駐在した。
1900年1月、彼は少佐(mayor)に昇進し、工兵隊の司令官となる。1905年、タルカワノ港要塞の設計を補助するべく海軍に出向する。1910年パリのフランス軍学校(Ecole de Guerre)に留学するべく再びヨーロッパに渡り、1912年まで学んだ。フランスに駐在している間、彼はフランス軍航空隊(フランス空軍の前身)に強い関心を持ち、帰国後に彼が提出した報告書は1913年チリ陸軍航空隊(チリ空軍の前身)が設立されるきっかけの1つとなった。
1914年大佐(coronel)に昇進したダルトネルは、通信及び航空総監(Comandante de Telecomunicaciones e Inspector Aeronáutico)となる。1919年、航空隊の長官(General Director)に就任すると共に少将(General de Brigada)への昇進を果たす。1920年から1924年に掛けては第2、第3、第4師団の師団長を務め、1924年11月28日にチリ陸軍総監(Inspector General del Ejército)に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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