翻訳と辞書
Words near each other
・ ベン・アンド・ジェリース
・ ベン・アンド・ジェリーズ
・ ベン・アーロノヴィチ
・ ベン・アーロノヴィッチ
・ ベン・イェフダー
・ ベン・イングリッシュ
・ ベン・イーストマン
・ ベン・ウィショウ
・ ベン・ウィショー
・ ベン・ウィリアムズ
ベン・ウェブスター
・ ベン・ウォレス
・ ベン・ウォーカー
・ ベン・ウォーレス
・ ベン・ウッダー
・ ベン・エイモス
・ ベン・エドワーズ
・ ベン・オクリ
・ ベン・オグリビー
・ ベン・オグリヴィー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ベン・ウェブスター : ウィキペディア日本語版
ベン・ウェブスター[ちょうおん]

ベンジャミン・フランシス・ウェブスターBenjamin Francis Webster1909年3月27日1973年9月20日)(「ザ・ブルート」、もしくは「フロッグ」という呼び名でも知られている)は、強い影響力を持った、アメリカ人のジャズテナー・サックス奏者。
ウェブスターは、ミズーリ州カンザス・シティに生まれ、コールマン・ホーキンスレスター・ヤングとともにスウィング期の3大テナーの一人と考えられている。
愛情を込めて「ザ・ブルート」と呼ばれ、〔liner notes by Billy James taken from the 1962 recording ''Ben and "Sweets"'' CBS 460613〕堅く、とがっていて、すごくいかした音色でストンプのリズムを刻む(彼自身の明らかに他人とは異なったうなるような演奏によって)。しかし、バラード曲では、温かみと情趣あふれる演奏をもこなすのである。スタイルの点から見れば、ウェブスターのそれは、ジョニー・ホッジズに負うところが大きい。ウェブスターによれば、ホッジズこそが彼に、サックスをどのように演奏したらよいか教えてくれた人物だということである。
== 若年期と経歴 ==
ウェブスターはピアノヴァイオリンを幼少の頃から習っていた。サキソフォンの演奏について学ぶのはその後のことになるのだが、それでも彼は時々、ピアノに立ち帰っていた。時にはピアノで録音に参加することもあったのである。ある時、バド・ジョンソンがウェブスターにサキソフォンの基本的な演奏法について教えたことがあったのだが、それ以来、サキソフォンをヤング・ファミリー・バンド(当時、メンバーの一人にレスター・ヤングがいた)で演奏するようになった。
カンザス・シティは、この当時、様々なミュージシャンが集まる「るつぼ」と化しており、1930年代にはジャズの大物達が何人かここから生まれている。
その後、ウェブスターは1932年にベニー・モーテンの伝説的なバンドに加わる。このバンドには、カウント・ベイシーオラン=ホットリップス=ペイジウォルター・ペイジらがいた。この頃の様子はロバート・アルトマンの映画「カンザス・シティ」の中で描かれている。
ウェブスターは、1930年代に、それなりに多くのバンドを転々とした。具体的には、アンディ・カーク・バンド、フレッチャー・ヘンダーソン・オーケストラには1934年に加入、その後、ベニー・カーター・バンド、キャブ・キャロウェイ・バンド、そして長くは続かなかったテディ・ウィルソン・ビッグ・バンドなどで演奏している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベン・ウェブスター」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.