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ヘンリー・シュラプネル : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・シュラプネル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘンリー・シュラプネル : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・シュラプネル[ちょうおん]

ヘンリー・シュラプネル(Henry Shrapnel, 1761年6月3日 - 1842年3月13日)は、イギリスの軍人。イギリス陸軍砲兵隊に所属した。榴散弾の開発者として知られ、現在でも英語圏では榴散弾をシュラプネル弾(shrapnel shell)と呼称する。
1761年、イングランドウィルトシャーブラッドフォード・オン・エイヴォンにて、父ザカリア・シュラプネル(Zachariah Shrapnel)と母リディア(Lydia)の元、9人兄弟の1人として生を受ける〔Sweetman (n.d.)〕。
1784年、当時イギリス陸軍に中尉(lieutenant)として勤務していたシュラプネルは、自ら材料や資金を調達し、彼自身が「球体弾」(spherical case)と呼ぶ新型砲弾を開発した。これは大量の鉛弾が詰め込まれた中空の砲弾で、空中で炸裂することで敵の頭上に鉛弾を撒き散らすというものであった。1787年にはジブラルタルで有用性を証明した〔Knight (2013). p. 47.〕。彼はこの砲弾を対人砲弾として設計していた。1803年、イギリス陸軍はシュラプネルが開発したオリジナルの砲弾よりもやや細長いものを採用し、これに彼の名をとったシュラプネル弾(shrapnel shell)という名称を与えた〔Rich (1967), p. 245〕。以後、「シュラプネル」という語は砲弾片やその他の破片を指す言葉としても用いられるようになり、またシュラプネル弾の役割が榴弾に引き継がれるのは何十年も後になってからである。第一次世界大戦が終わる頃まで、シュラプネル弾は当初の原則に従い対人砲弾として製造され続けた。
その後、シュラプネルはフランドル方面に派遣され、1793年には負傷している。大尉(captain)としての8年間の勤務を経て、1803年11月1日には少佐(major)に昇進。1804年4月30日、を巡る戦いでは自らシュラプネル弾を運用して大戦果を上げ、7月20日には中佐(lieutenant colonel)に昇進している。
1814年、英国政府はシュラプネルの貢献を称え、彼に毎年1,200ポンド(現在のポンド相当)の生活費を給与する旨を決定した。しかし官僚の妨害により、シュラプネルがこの生活費を完全に受け取ることは叶わなかった〔Sweetman (n.d.)〕。1827年3月6日、英陸軍砲兵隊司令大佐部(office of Colonel-Commandant, Royal Artillery)付勤務となる。1837年1月10日までに中将(lieutenant-general)に昇進している。
1835年頃から1842年に死去するまで、サウサンプトン・近くのに暮らした。
==脚注・出典==
;脚注
;出典


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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