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ヘルベルト・フォン・ビスマルク : ミニ英和和英辞書
ヘルベルト・フォン・ビスマルク[びす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビス : [びす]
  1. (fr:) (n) (1) screw (fr: vis) 2. -bis (again, second version) (fr: bis) 3. BIS (Bank of International Settlements) 4. (fr:) (n) (1) screw (fr: vis)/(2) -bis (again, second version) (fr: bis)/(3) BIS (Bank of International Settlements)

ヘルベルト・フォン・ビスマルク : ウィキペディア日本語版
ヘルベルト・フォン・ビスマルク[びす]
ニコラウス・ハインリヒ・フェルディナント・ヘルベルト・フォン・ビスマルク侯爵Nikolaus Heinrich Ferdinand Herbert Fürst von Bismarck1849年12月28日 - 1904年9月18日)は、ドイツの政治家。
== 生涯 ==
1849年、帝国宰相オットー・フォン・ビスマルク侯とその妻ヨハンナ・フォン・プットカマーの長男としてベルリンで生まれた。姉にマリー、弟にヴィルヘルムがいる。
1870年から1871年の普仏戦争には騎兵として参加し、マーズ=ラ=トゥールの戦いで左足に銃創を負った。
1873年、父オットーの勧めでドイツ帝国外務省に入省する。はじめオットーの私設秘書となり、後に1882年にロンドン大使館、1884年にはサンクトペテルブルクデン・ハーグの大使館に赴任した。1885年に外務次官、その翌年には外相となった。1890年にヴィルヘルム2世が帝国宰相の父を解任した2日後には、ヘルベルトも外相を辞任した。1893年、帝国党の帝国議会議員に選出された。
1881年、侯爵令嬢との結婚を望んだが、エリーザベトがカトリック教徒の離婚経験者で、ヘルベルトより10歳も年上であったことから、オットーは許そうとしなかった。オットーは涙ながらに長子相続権を剥奪すると脅して、エリーザベトとの結婚を諦めさせた。この苦い経験から、ヘルベルトはアルコール漬けになった。外務省の窓から外に銃を5発撃ったことがあり、その際誰かにあたったかもしれないと言われたヘルベルトは、「役人は常にイライラと不安に苛まれ続けないといけない。それが終わるのは仕事を辞める時だ」と答えた。1892年6月21日、魚雷の開発者として知られるロバート・ホワイトヘッドの孫娘マーガレット・ホヨス伯とウィーンで結婚した。
ボンの学生組合コール・ボルシアCorps Borussia Bonn)のメンバーであった。
1898年7月30日、ベッドサイドで父の最期を看取った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘルベルト・フォン・ビスマルク」の詳細全文を読む




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