翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘテロ鎖ポリマー
・ ヘテ・タイガース
・ ヘディス
・ ヘディフェングループ
・ ヘディン
・ ヘディング
・ ヘディングリー・スタジアム
・ ヘディング・フォー・トゥモロウ
・ ヘディング事件
・ ヘディング卓球
ヘディ・キースラー
・ ヘディ・スコット
・ ヘディ・バーレス
・ ヘディ・ラマー
・ ヘディ・ラマール
・ ヘディーヴ
・ ヘデラ
・ ヘデラアカアシカタゾウムシ
・ ヘデル
・ ヘデンバージャイト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘディ・キースラー : ミニ英和和英辞書
ヘディ・キースラー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヘディ・キースラー ( リダイレクト:ヘディ・ラマー ) : ウィキペディア日本語版
ヘディ・ラマー[ちょうおん]

ヘディ・ラマーHedy Lamarr、本名:Hedwig Eva Maria Kiesler、1914年11月9日 - 2000年1月19日)は、オーストリアウィーン出身の女優発明家である。1930年に女優としてデビューし、1933年の『春の調べ』で映画史上初めてとなる全裸シーンを披露した。同年、結婚を理由に映画界から引退したが、当時の夫への不満が高まったことから、1937年に夫の元から逃げ出し、密かにパリに転居した。そこで彼女はMGMの創始者ルイス・B・メイヤーに出会い、彼の力を借りて1930年代から1950年代までの間、ハリウッドスターの1人となった。
女優としての彼女は「世界で最も美しい女性」として名を馳せており、公式サイトや彼女に関する文献では""(訳:これまでスクリーンに現れた最も美しい女優の1人)とも謳われている。シャルル・ボワイエスペンサー・トレイシークラーク・ゲーブルジェームズ・ステュアートヴィクター・マチュアなど有名な俳優との共演経験が多い。
発明家としての彼女は第二次世界大戦期に作曲家ジョージ・アンタイルと共に、連合国側の魚雷の無線誘導システムが枢軸国側からの通信妨害の影響を受けないための周波数ホッピングスペクトラム拡散の初期的な技術を開発し、その特許を取得した。アメリカ海軍1960年代になってからようやくこの技術を導入したが、この技術の原理は現代の符号分割多元接続Wi-FiBluetoothなどの技術にも取り込まれている。また、彼女とアンタイルはこの発明の功績により、亡くなった後の2014年に「全米発明家殿堂」入りを果たした。
== 来歴 ==
ユダヤ系の両親のもとにヘドウィヒ・エヴァ・マリア・キースラーとしてウィーンで生まれ、父親エーミール・キースラー(Emil Kiesler)はレンベルク出身のユダヤ人銀行家、母親ゲルトルート・キースラー(旧姓リヒトヴィッツ、Gertrud née Lichtwitz)はブダペシュトのユダヤ人上流階級家庭出身のピアニストである。彼女はユダヤ教から改宗したカトリック教徒であり、よく教会に通っていた。
女優に憧れ、プロデューサーマックス・ラインハルトとともにベルリンに行き、演劇の訓練を受けた。その後またウィーンに戻り、スクリプターとして映画界に入り、まもなく女優となり、17歳のときに端役として映画に出演した。1933年、18歳の時にヘディ・キースラーの名前で性の解放を謳ったグスタフ・マハティ監督のチェコ映画『春の調べ』に出演し、ヒロインの若妻・エヴァ役に扮して映画史上初めての全裸シーンで女性として初めてオーガズムを披露した。当時としては、この映画はかなりセンセーショナルであり、アメリカでは上映禁止になっている。
1933年8月10日、19歳となった彼女はの所有者である裕福な兵器製造業者と結婚した。マンドルは非常に嫉妬深い男で、彼女の濡れ場への出演には大反対し、誰も彼女のヌードが見られないようにするため『春の調べ』のプリントを買い占めようとした。彼女の自伝『Ecstasy and Me』によると、マンドルは独占欲が強く、彼女を当時の住居であるシュヴァルツェナウ城に幽閉し、映画界を半ば強制的に引退させた。親の片方がユダヤ人にもかかわらず、マンドルはドイツナチス政権イタリアファシスト党とは親密な社会・経済的な関係にあり、ムッソリーニ政権軍需品を売ったことがある。また、マンドル宅の高級パーティーにムッソリーニとヒトラーが出席したこともある。その時期、彼女はよくマンドルを伴ってビジネスの場に出席し、そこで軍事技術に携わる科学者専門家たちに会うことになった。こういった経験は彼女に応用科学の分野に興味をもたらせ、彼女の科学的才能を培った土壌とも言える。
最終的に彼女はマンドルとの結婚に嫌気が差し、夫の元、そしてナチスの影響力が強くなる母国オーストリアを離れることに決心した。自伝によると、彼女は1937年メイド姿に変装パリへと逃げた。ただし、噂では彼女はある晩餐会の前に、マンドルに宝飾品を身につけるため部屋に戻りたいという嘘をついて逃げたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘディ・ラマー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hedy Lamarr 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.