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プリスキアヌス ( リダイレクト:カエサレアのプリスキアヌス ) : ウィキペディア日本語版
カエサレアのプリスキアヌス

カエサレアのプリスキアヌス: Priscianus Caesariensis、500年ごろに活動)は、一般的にプリスキアヌスとして知られるラテン語文法学者。『文法学教程』(羅: ''Institutiones grammaticae'')の著者。この作品は中世のラテン語教育において標準的な教科書となり、思弁文法の分野の素材を提供した。
== 生涯 ==
プリスキアヌスの生涯は概して知られていない。プリスキアヌスはギリシア系の血筋を受け継いでおり、マウレタニア・カエサリエンシス属州の州都カエサレア(今日のアルジェリアテパザ県シャルシャール)で生まれ育った。カッシオドルスによれば、彼はコンスタンティノープルでラテン語を教えた〔Keil, ''Gr. Lat.'' vii. 207〕。プリスキアヌスの行ったあまり有名でない活動として、512年に頃に東ローマアナスタシウス1世(491年-518年)に対する賛辞を書いたことがある。これにより彼は国の庇護を受けられた。さらに、『文法学教程』の写本の中には、皇帝秘書課長のフラウィウス・テオドシウスが書写した(526年、527年)という旨の署名がなされたものもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カエサレアのプリスキアヌス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Priscian 」があります。




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