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プネーの戦い : ミニ英和和英辞書
プネーの戦い[ぷねーのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

プネーの戦い : ウィキペディア日本語版
プネーの戦い[ぷねーのたたかい]

プネーの戦い(プネーのたたかい、英語:Battle of Pune)は、1802年10月25日インドプネーにおいて、マラーター王国の宰相バージー・ラーオ2世シンディア家の連合軍と、ホールカル家ヤシュワント・ラーオ・ホールカルの間で行われた戦闘。
==戦闘に至るまで==
18世紀末、ホールカル家シンディア家と領土やマラーター王国宰相位をめぐって争い、シンディア家がホールカル家の跡目争いにも介入するなど、両者の対立は高まっていた。また、ホールカル家の当主カンデー・ラーオ・ホールカルはその争いにより、宰相府のプネーに依然として捕らわれたままだった。
そして、1800年4月に宰相府の実力者ナーナー・ファドナヴィースが死ぬと、シンディア家とホールカル家は戦争に突入し、7月にはホールカル家がウッジャインの戦いでシンディア家を破った。
だが、同年4月に宰相府の領土を略奪していたヴィトージー・ラーオ・ホールカルが捕えられ、宰相バージー・ラーオ2世に踏みつぶさせて殺すという極めて残虐な方法で処刑した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.280〕。これにより、バージー・ラーオ2世はその兄ヤシュワント・ラーオ・ホールカルの恨みを買うこととなった。
1802年5月、ヤシュワント・ラーオはプネーに向けて進撃した。彼はこれらの合意に応じた場合、戦闘行為にやめるという旨を宰相府に送った。
*カンデー・ラーオ・ホールカルがシンディア家によって解放されること
*カンデー・ラーオ・ホールカルをカーシー・ラーオ・ホールカルに代わる当主として認めること
*シンディア家がホールカル家の所有物を返還すること
*シンディア家がホールカル家の北インドの領土を返還すること
だが、宰相府はこれに応じなかったため、ヤシュワント・ラーオは進撃をつづけ、マーレーガーオンアフマドナガルプランダルナーシクナーラーヤンガーオンネールなどを次々に落とし、プネーに迫った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「プネーの戦い」の詳細全文を読む




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