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プニュクス : ウィキペディア日本語版
プニュクス

プニュクス(Pnyx、)は、ギリシャの首都アテネの中心部の丘の古代ギリシア語での呼称。現代ギリシア語ではプニカ(Pnika、''Πνύκα'')と呼ぶ。アテナイのアクロポリスの丘の西1km弱のところにあり、シンタグマ広場の南西1.6kmの位置にある。
== 概要 ==
パルテノン神殿のような古代アテネの建築に比べると、プニュクスは相対的に地味である。周辺を緑に囲まれた小さな岩だらけの丘で、浸食された平らな岩の演壇があり、周囲の斜面に沿って階段が彫られている。そのような地味な外観にもかかわらず、アテネでもそして世界的にも非常に重要な場所である。プニュクスは世界初の民主的立法府、すなわちアテネの民会が会議を開催した場所で、平らな岩のプラットフォームは ''bema'' と呼ばれる演説者の演壇だった。プニュクスは古代ギリシアの原則のひとつ「イセゴリア (isēgoria, ισηγορία)」を具現化している。イセゴリアとは「言論の平等」、すなわちあらゆる市民が政治方針について発言する平等な権利を有するという考え方である。古代ギリシアの民主政の他の2つの原則は、「イソノミア (isonomia, ισονομία)」すなわち「法の下の平等」と「イソポリテイア (isopoliteia, ισοπολιτεία)」すなわち「投票における平等」と「政治に携わる機会の平等」である。イセゴリアの権利は、プニュクスでの集会の司会役を務める者が、個々の討論の開始に当たって発する "''Τίς ἀγορεύειν βούλεται;''"(「話したいのは誰か?」)という言葉に表されている。
プニュクスは、クレイステネスが権力を市民に譲渡した紀元前507年ごろからアテネでの市民集会に使われ始めた。当時そこは市内ではなかったが、非常に近かったので集会には便利だった。プニュクスの丘は商業および社会の中心地だったアゴラを見下ろす位置にあった。
この場所で、アテナイのいわゆる「黄金時代」の大きな政治闘争が繰り広げられた。ペリクレスアリスティデスアルキビアデスらはアテーナーの神殿であるパンテオンが見えるこの場所で演説した。デモステネスピリッピカと呼ばれるピリッポス2世への激しい攻撃演説を行ったのもここだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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