翻訳と辞書
Words near each other
・ ブルー・イン・グリーン
・ ブルー・イン・ザ・フェイス
・ ブルー・イン・レッド
・ ブルー・ウォーター
・ ブルー・ウルフ
・ ブルー・エンカウント
・ ブルー・エンサイン
・ ブルー・エンザイン
・ ブルー・エンジェルス
・ ブルー・エンジェルズ
ブルー・オイスター・カルト
・ ブルー・オレンジプラン
・ ブルー・オーシャン
・ ブルー・オーシャン戦略
・ ブルー・キュラソー
・ ブルー・コメッツ
・ ブルー・コメッツ フォーエバー
・ ブルー・ゴールド
・ ブルー・ゴールド 狙われた水の真実
・ ブルー・サム・レコード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブルー・オイスター・カルト : ミニ英和和英辞書
ブルー・オイスター・カルト[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブルー・オイスター・カルト : ウィキペディア日本語版
ブルー・オイスター・カルト[ぶる]

ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)は、アメリカ合衆国ハードロックバンドBÖCとも省略される。1967年に結成され、ヘヴィメタルの源流の一つになったバンドであると考えられている(ヘヴィメタル#語源参照)。代表曲に「(Don't Fear) The Reaper」「Godzilla」「Burnin' for You」がある。
== 音楽性と活動の変遷 ==

=== 結成からメジャーデビューまで ===
1967年、サンディ・パールマンが、自作の詩「The Soft Doctrines Of Imaginos(イマジノスの柔らかな経典)」( #イマジノス参照)の世界観を、ロックによって表現するというコンセプトで、協力者アルバート・ブーチャードとともにミュージシャンを集め、ニューヨーク市ロングアイランドで結成された。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」〔lesvegas.com Soft White Underbelly 〕であった。パールマンはマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらず、自作の詩をバンドのオリジナル曲の歌詞の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えた。
1968年エレクトラ・レコード向けにアルバムを制作するが、エレクトラの反応は悪く、アルバムの発売は中止される。一方バンドはシンガーを交替させ、エリック・ブルームを迎え入れる。1969年、バンドはフィルモア・イーストの舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替える。結局バンド名が「ブルー・オイスター・カルト」に落ち着いたのは1970年のことであった。この間に、またいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブルー・オイスター・カルト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.