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ブルーノ・コンティ : ミニ英和和英辞書
ブルーノ・コンティ[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブルーノ・コンティ : ウィキペディア日本語版
ブルーノ・コンティ[ぶる]

ブルーノ・コンティBruno Conti, 1955年3月13日 -)は、イタリアローマ県ネットゥーノ出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはMF(右サイドハーフ)。
== 略歴 ==
1982年にイタリアが3度目のワールドカップ制覇を成し遂げた時の中心選手の一人。技巧的なドリブルと豊富な運動量が持ち味で、イタリア代表として1982年のワールドカップ・スペイン大会ではマルコ・タルデッリと共にゲームメーカーのジャンカルロ・アントニョーニをサポートし3度目の世界制覇に貢献。大会のベストイレブンにも名を連ねた。
クラブではASローマの下部組織で育ち、1973年にプロ契約を果たすが、当初は出場機会に恵まれずレンタル移籍に出される日々が続いた。その後1979-80シーズンからはレギュラーの座を掴み、パウロ・ロベルト・ファルカンらと共に1982-83シーズンのスクデット制覇に貢献した。
翌1983-84シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝戦に進出、決勝のリヴァプールFC戦の開催地は地元ローマという事もあって圧倒的優位が予想されたが1-1の同点のままPK戦に突入。PK戦の2人目のキッカーとして挑んだコンティはこのPKを失敗し準優勝という苦い結果に終わっている。
その後、1991年に現役引退するまでローマでプレーを続けた人気選手であった。
引退後は指導者の道へ進み、ローマの下部組織の監督等を務めていたが、2005年3月14日から2005年6月30日まで暫定的なローマの監督に就任。現在は、ローマのテクニカルディレクターを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブルーノ・コンティ」の詳細全文を読む




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