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ブルゴーニュ戦争 : ミニ英和和英辞書
ブルゴーニュ戦争[ぶるごーにゅせんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

ブルゴーニュ戦争 : ウィキペディア日本語版
ブルゴーニュ戦争[ぶるごーにゅせんそう]

ブルゴーニュ戦争(ブルゴーニュせんそう)は、15世紀ヴァロワ家の分枝のブルゴーニュ公と宗家のフランス王の間で戦われた一連の戦争。後に(Alte Eidgenossenschaft)も巻き込まれたが、スイスはこの戦争で決定的な役割を演じることになった。1474年に開戦し、ブルゴーニュ公シャルル突進公ナンシーの戦いで戦死した。ブルゴーニュ公の本領とその他の公領はフランスに併合されたが、ネーデルラントフランシュ=コンテブルゴーニュ自由伯領)はシャルルの娘マリーが相続し、最終的にはハプスブルク家の所領になった。
== 時代背景 ==
ブルゴーニュ公国はハプスブルク家とフランス王国が支配を確立するまで、およそ100年以上にわたり繁栄し続けていた。公国は本拠地のフランシュ=コンテとブルゴーニュ公領の他にフランドルブラバントルクセンブルクといった経済力のある低地諸国を有していた。概してブルゴーニュ公は拡張政策を採り、特にアルザスロレーヌの獲得に対して積極的で、地理的に南北に離れた領地を1つにしようと目論んでいた。百年戦争ではブルゴーニュ公はイングランド側についており、フランス王とは既に対立していた。シャルルのライン川沿いへの進出はハプスブルク家、特に神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世との争いの原因になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブルゴーニュ戦争」の詳細全文を読む




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