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ブラッド・パークス : ミニ英和和英辞書
ブラッド・パークス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブラッド・パークス : ウィキペディア日本語版
ブラッド・パークス[ちょうおん]

ブラッド・パークスBrad Parks, 1957年4月2日 - )〔日本では「ブラッドリー」もしくは「ブラッドレー」の表記がある。''cf.'' 日本車いすテニスプレイヤーズ協会・日本身体障害者スポーツ協会『車いすテニス競技』(調査研究報告書)1991年、〕 はアメリカカリフォルニア州出身の車いすテニス選手。バルセロナパラリンピック車いすテニス男子ダブルス金メダリスト。車いすテニスを競技スポーツとして成立させ、広く普及に努めた。
== 生涯 ==
1976年、アクロバットスキーの選手だった当時18歳のパークスは競技会でジャンプに失敗、下半身に麻痺が残り、車いすの生活となった。リハビリテーションに取り組んでいる時に、ジェフ・ミネンブレイカーという人物が自ら軽量化した車いすを使い、2バウンドによるテニスをしたというニュースを知る。パークスはミネンブレイカーの指導を受け、事故に遭うまで未経験だったテニスの技術を磨くだけでなく、共同して競技用車いすを開発した。さらにカリフォルニア大学サンタバーバラ校の学生時代には車いすレースに出場し、レースに合わせて車いすテニスのエキシビションマッチも行った。1980年には全米車いす財団(National Foundation of Wheelchair Tennis, NFWT)を創設、ツアーとともにテニス教室やキャンプなどを開催して、西海岸のみならず全米規模でのPR活動を開始した。
1981年、パークスは車いすテニスに関する初めての教本となる小冊子『''Tennis in a Wheelchair''』を執筆した。全米車いす財団が催す車いすテニス教室で配布されたこのパンフレットは、のちに全米テニス協会により1985年、1987年、1991年と3度にわたり再版された。1984年には『ワールドテニス(''World Tennis'')』誌やテレビ番組『''This Is Your Life''』にもとりあげられた。〔"Brad Parks: Paraplegic Who Pioneered Wheelchair Tennis"(1984年3月3日放送) cf. 〕 1985年には福岡県飯塚市で開催された飯塚国際車いすテニス大会の第1回大会のために来日、優勝したほか、指導も行った。同年には西ドイツ、フランス、スイス、オランダも訪問、フランスではパリ郊外で開催された車いすテニス大会、アントニー・オープンにも参加した。
1988年、パークスら車いすテニス関係者と全米テニス協会、国際テニス連盟などに所属するメンバーらによる協議の結果、8カ国が原加盟国として参加する国際車いすテニス連盟(International Wheelchair Tennis Federation, IWTF)が創設された。この際、パークスは満場一致で初代会長に選出された。同連盟が国際テニス連盟の下部組織として公認を受けたことから、1990年には、ギリシアのアテネで開催された国際テニス連盟の年次総会に出席してスピーチを行った。このスピーチは会場から大きな称賛を受け、各国のテニス関係者の間に車いすテニスへの関心をさらに引き寄せることとなった。〔日本車いすテニスプレイヤーズ協会・日本身体障害者スポーツ協会、前掲、65ページ。〕
車いすテニスがパラリンピックの正式種目となった1992年のバルセロナ大会には、アメリカ代表として男子シングルスと男子ダブルスに出場した。シングルスでは準々決勝で敗退したものの、ランディ・スノーと組んで出場したダブルスでは優勝、金メダルを獲得している。
1993年、カナダ、バンクーバーで開かれた国際テニス連盟年次総会で、パークスは車いすテニスに対する貢献を称えるIWTFトロフィーを受賞した。この年、パークスは国際車いすテニス連盟の会長職を退いた。 1997年には連盟の委員会の要職からも引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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