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フリードリヒ・シェリング : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・シェリング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・シェリング : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・シェリング[ちょうおん]

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツ哲学者である。イマヌエル・カントヨハン・ゴットリープ・フィヒテゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
== 生涯 ==
ヴュルテンベルク公国(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州レオンベルクで誕生。父はルター派の神学者・東洋学者・教育者であり、シュヴァーベン敬虔主義の支持者だった。シェリングは家庭の知的また宗教的雰囲気に強く影響されて育ち、早熟な天才ぶりをみせる。シュトゥットガルト近郊のニュルティンゲンラテン語学校、さらにテュービンゲンの一区域であるベーベンハウゼンの学校で学んだシェリングは、10代前半でギリシア語ラテン語ヘブライ語に通じた。
1790年、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学の付属機関)に特例により15歳で入学を許された(規定では20歳から入学)。同神学校には2年前、彼より5歳年上のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルフリードリヒ・ヘルダーリンが入学しており、シェリングは寮で二人と同室になった。彼らは、フランス革命に熱狂し、イマヌエル・カントに代表される新しい時代の哲学に関心を示し、進歩と自由を渇望し、そして牧師にはならず、思想あるいは文学の道へ進んでいく。そしてこの時期のシェリングが特に傾倒したのは、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテであり、またバールーフ・デ・スピノザであった。卒業後、家庭教師をしながら『悪の起源について』(1792年)『神話について』(1793年)などの哲学著述を続けていた。
1796年、ライプツィヒ大学で自然学の講義を聴講し始める。1798年、同年に著した『世界霊について』がヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに認められたことがきっかけとなり、イェーナ大学の助教授に就任する。1799年にはフィヒテがイェーナ大学を辞職し、シェリングは哲学の正教授となった。1800年、ヘーゲルをイェーナ大学の私講師として推挙した。
1802年、アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・シュレーゲルの妻であるカロリーネとの恋愛事件を起こし、さらにイェーナで保守派と対立した。1803年、シュレーゲルと協議離婚したカロリーネを伴ってヴュルツブルクで結婚し、ヴュルツブルク大学に移籍した。1806年にはさらにミュンヘンに移住、バイエルン科学アカデミー総裁に就任した。
ミュンヘンで『人間的自由の本質』を執筆中だった1809年、妻カロリーネが療養先のマウルブロンで死去。シェリングはその後1813年、ゲーテの紹介でパウリーネ・ゴッターと再婚した。
1820年、エアランゲン大学哲学教授となり、さらに1827年、ミュンヘン大学創立に伴い哲学教授に就任。この時期、シェリングはバイエルン王太子マクシミリアンの家庭教師を務め、国政にも参画した。のちにその功績をもって貴族に叙された。
1841年、ベルリン大学哲学教授。1845年、同教授職を辞任した。ベルリン大学より引退した後、シェリングは以後公開の講義を行わなくなった。
1854年8月20日、療養に出かけたスイスバート・ラガーツで病を悪化させ、家族に見守られて生涯を終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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