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フリチョフ・バッケル=グロンダール : ミニ英和和英辞書
フリチョフ・バッケル=グロンダール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリチョフ・バッケル=グロンダール : ウィキペディア日本語版
フリチョフ・バッケル=グロンダール[ちょうおん]

フリチョフ・バッケル=グロンダールFridtjof Backer-Grøndahl 1885年10月15日 - 1959年6月21日)は、ノルウェーピアニスト作曲家、音楽教師。
== 生涯 ==
バッケル=グロンダールはクリスチャニア(現オスロ)に生まれた。父は指揮者、歌唱指導者のオラウス・アンドレアス・グロンダール、母はピアニストで作曲家のアガーテ・バッケル=グロンダールである。まず母から音楽の手ほどきを受け、18歳でコンサートデビューを飾った。ベルリン芸術大学に入学、エルンスト・ルドルフの薫陶を受ける。他にエルンスト・フォン・ドホナーニフランツ・クサヴァー・シャルヴェンカからも個人的に指導を受けていた。
同郷の作曲家であり母の友人でもあったエドヴァルド・グリーグピアノ協奏曲 イ短調に関しては詳細な研究を行った。1905年からドイツと周辺諸国を巡る演奏旅行に赴き、1906年アムステルダム1907年キールでは作曲者自身の指揮の下、この作品を演奏している。また、同作品の演奏に際してはヨハン・スヴェンセンとも共演している〔''Backer-Grøndahl, Fridtjof'', Grove's Dictionary of Music and Musicians, 5th ed., 1954, Vol. I, p. 341〕。
1920年から1930年にかけてはイギリスに居を構えてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教鞭を執るとともに、コンサートを催してレパートリーであった自らの母やグリーグなどのノルウェーの作品を演奏した他〔、ベートーヴェンショパンシューマンブラームスらの楽曲を取り上げた。
作曲家としてのバッケル=グロンダールはピアノ小品や歌曲集を作曲した。わずかながらグリーグの『抒情小曲集』の録音が遺されている。また、母の作品の録音も行っている。
1959年、73歳でオスロに没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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