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フランソワ・スクイテン : ミニ英和和英辞書
フランソワ・スクイテン[てん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

フランソワ・スクイテン : ウィキペディア日本語版
フランソワ・スクイテン[てん]

フランソワ・スクイテン(シュイッテン)(François Schuiten, 1956年4月26日 - )は、ベルギーブリュッセル出身のバンド・デシネ作家(漫画家)。ブノワ・ペータース原作による『闇の国々』シリーズで知られる。
== 経歴 ==
1956年、ベルギーのブリュッセルに生まれる。両親はともに建築家で、彼の5人の兄弟うちの一人ものちに建築家となった。父ロベールは芸術家気質で漫画嫌いであったが、父の描いた未来社会のスケッチはスクイテンのSF的想像力を育むきっかけとなった〔『闇の国々』日本語版、訳者あとがき、399頁〕。1975年から1977年にかけてブリュッセルのサン=リュック学院に学ぶが、ここでベルギーの漫画界刷新に貢献した人物で、同校で漫画科を教えていたクロード・ルナールと出会った。ルナールとは共同でいくつかの本を制作している。
1973年3月、フランスの漫画雑誌『ピロット』に5ページのモノクロ作品がはじめて掲載され、その4年後には『メタル・ユルラン』にも作品の掲載をはじめた〔De Weyer, Geert (2005). "François Schuiten". In België gestript, pp. 153-155. Tielt: Lannoo.〕 。1983年、幼馴染であるブノワ・ペータースの原作のもと、『闇の国々』第一作となる『サマリスの壁』をベルギーの漫画雑誌『ア・シュイーブル』に掲載。1985年にはシリーズ第二作『狂騒のユルビカンド』で、アングレーム国際漫画祭にて最優秀作品賞を受賞。また、スクイテンは2002年には同漫画祭にてグランプリに選ばれ、同年ベルギー王アルベール2世より男爵位が与えられた。2012年には、日本で刊行された『闇の国々』の第1巻が文化庁メディア芸術祭マンガ部門において、海外作品として初めて大賞を受賞している〔祝! 『闇の国々』第16回メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞!! BDfile(2012年12月13日)〕。
スクイテンはまたモーリス・ブナユンとともに3Dアニメのテレビシリーズ『Quarxs』制作に携わっているほか、プロダクション・デザイナーとして『ゴールド・パピヨン』『トト・ザ・ヒーロー』『タクサンドリア』『ライラの冒険 黄金の羅針盤』『ミスター・ノーバディ』『火星とアヴリル』などの映画制作に協力している〔Voyage à travers le Montréal de demain , article from ''La Presse'', December 8, 2011〕。現在はブノワ・ソーカル、マルタン・ヴィルヌーヴとともに、CGIとモーション・キャプチャー技術を用いた映画『Aquarica』の制作に関わっている〔EXCLUSIVE: Whale archipelago tale AQUARICA in development! , article from Quiet Earth, June 17, 2012〕。

映像以外では、背景デザイナー(シノグラファー)として、パリやブリュッセルの地下鉄の駅のデザインなどを行っており、2000年のハノーヴァー万国博覧会ではメイン・パビリオンのひとつ''A planet of visions''をデザインし500万人の観客を集めた。2005年の愛知万博でもベルギー館のパビリオンのデザインを行っている〔。建築関連では他に、ブノワ・ペータースと協力してヴィクトール・オルタによるアール・ヌーヴォーの建築物オートリック邸の保存・修復にも携わっている。スクイテンはまたベルギーで15種の切手をデザインしている〔Stamps page at the Altaplana fan site 〕 。2004年から2005年にかけては、ルーヴェンで大規模な展覧会「ユートピアの門」が開かれ、スクイテンの活動の様々な側面に光が当てられた。
スクイテンは1980年にモニーク・トゥーサンと結婚し、彼女との間に4人の子供をもうけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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