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フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー : ミニ英和和英辞書
フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー : ウィキペディア日本語版
フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー[ちょうおん]

フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー(、フルネームは 、1828年2月2日 - 1896年6月7日)は、ドイツ植物学者である。サンクトペテルブルク植物園の幹部職員を務め、ロシア帝国の枢密顧問官となった。彼は有名な詩人、ヨハン・ゴットフリート・フォン・ヘルダーの孫である。
==略歴==
バイロイトに、森林監督官のエミール・エルンスト・ゴットフリート・フォン・ヘルダーの息子として生まれた。父親はヨハン・ゴットフリート・フォン・ヘルダーの息子であり、母親も当時人気のあった作家のテレーゼ・フバーの一族である。両親は1813年に結婚し、5人の子供をもうけ、フェルディナント・ゴットフリートは3人目の子供であるが、1831年に母親は5人目の子供の出産時に産褥熱で没した。その後は母親の妹、テレーゼ・フォルスターに育てられた。、
1846年にエアランゲンハイデルベルクで法律を学んだ。1849年のバーデン革命に参加し、ローレンツ・ブレンターノ(Lorenz Brentano)らと活動した。革命の失敗によりスイスに逃れるが、しばらくして恩赦されることを期待して帰国した。裁判で無罪になったが、政治的な活動をする道は閉ざされた。
フォン・ヘルダーは再び、スイスへ行き、チューリッヒ大学で植物学を学んだ。1856年に結婚し、サンクトペテルブルク植物園で仕事を得た。1860年から学芸員を務め、1861年から1891年の間、文書館の司書を務めた。植物学の論文を書き、1863年にドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナの会長、カール・グスタフ・カルス(Carl Gustav Carus)から博士号を与えられ、1864年に正会員に選ばれた。
妻の病気のために、ドイツに戻り、妹の住むプファルツ州のグリュンシュタットに移り、妻の死の後もそこに住んだ。プファルツ州自然史協会(Pfälzer naturkundlichen Vereins、"Pollichia")理事を務め、後に理事長となった。グリュンシュタットで没した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェルディナント・ゴットフリート・フォン・ヘルダー」の詳細全文を読む




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