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フェリックス・パッパラルディ : ミニ英和和英辞書
フェリックス・パッパラルディ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フェリックス・パッパラルディ ( リダイレクト:フェリックス・パパラルディ ) : ウィキペディア日本語版
フェリックス・パパラルディ

フェリックス・パパラルディ〔姓の表記はアルバム『ドント・ウォリー・マ』日本盤CD (UICY-3356)、アルバム『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』日本盤CD (CT25-5566)、ムック『聴け! 伝説の日本ロック1969-79』(宝島社、2004年)、書籍『地球音楽ライブラリー エリック・クラプトン』(TOKYO FM出版、1995年)p.172等に準拠。マウンテンの日本盤CDライナーノーツ等ではパッパラルディと表記される例も多い。〕(Felix Pappalardi、1939年12月30日 - 1983年4月17日〔)は、アメリカ合衆国ベーシストキーボーディストボーカリスト音楽プロデューサークリームのアルバムのプロデュースや、アメリカン・ハードロックの元祖の一つとみなされているバンド、マウンテンのメンバーとしての活動で知られる〔。
== 来歴 ==
ニューヨークブロンクス区で生まれ、ミシガン大学クラシック音楽を学んだ後、ニューヨークに戻ってアレンジャーやプロデューサーとして仕事を行うようになった〔。また、1960年代前半にはやヴィンス・マーティン&フレッド・ニールの作品でベースを弾いている〔Felix Pappalardi | Credits | AllMusic 〕。
1967年よりクリームのアルバムをプロデュースするようになり〔、また、アルバム『カラフル・クリーム』(1967年)収録曲「ストレンジ・ブルー」をエリック・クラプトン、それに妻のゲイル・コリンズと共作した〔。続く『クリームの素晴らしき世界』(1968年)、『グッバイ・クリーム』(1969年)ではプロデュースだけでなく様々な楽器の演奏でも貢献しており〔、『グッバイ・クリーム』の最後に収録された「ホワット・ア・ブリングダウン」ではジャック・ブルースの代わりにベースを弾いた〔Cream (2) Goodbye (Vinyl, LP, Album) at Discogs 〕。
クリームとの仕事と並行して、パパラルディはヴァグランツというバンドの作品もプロデュースするがヒットには結びつかず〔、ヴァグランツのギタリストだったレスリー・ウェストのソロ・デビュー作『マウンテン』にプロデュース、ソングライティング、演奏で参加した。また、クリーム解散後にはジャック・ブルースのソロ・アルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー』もプロデュースしている〔。そして、1969年にはウェストと共にマウンテンを結成し、7月にフィルモア・ウェストでライヴ・デビューした後、ウッドストック・フェスティバルにも出演した。マウンテンではベースの演奏、プロデュース、ソングライティングに加えて、一部の曲ではリード・ボーカルも担当した。
マウンテンは1972年に一度解散し〔、その後パパラルディはベドラム(コージー・パウエルが在籍していたバンド)のアルバム『狂人どもの舞踏会』(原題:Bedlam)をプロデュースした〔Bedlam (9) - Bedlam (Vinyl, LP, Album) at Discogs 〕。また、1973年にはマウンテンの再結成に参加するが、ライヴ・アルバムとスタジオ・アルバムを1作ずつリリースした後に再解散した。
1975年8月、日本の5都市で開催された「第1回ワールド・ロック・フェスティヴァル」でジョー山中(元フラワー・トラベリン・バンド)と共演。その後、同フェスティヴァルに対バンとして出演したクリエイションをアメリカに招き、コラボレーション・アルバムの制作に入る〔。1976年4月5日にアルバム『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』が発売され、同月には日本武道館天王寺野外音楽堂でクリエイションとの共演ライヴも行って〔、武道館公演のライヴ録音は2007年にCD化された。また、『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』のアメリカ盤は『Felix Pappalardi & Creation』というタイトルでA&Mレコードから発売され〔Felix Pappalardi, Creation (6) - Felix Pappalardi & Creation (Vinyl, LP, Album) at Discogs 〕)、6月にはクリエイションと共にアメリカ・ツアーを開始した〔。なお、クリエイションの次作『ピュア・エレクトリック・ソウル』(1977年)に収録された「See You in the Night and Leave You at Dawn」は、パパラルディに捧げられた曲である〔『ピュア・エレクトリック・ソウル』LP裏ジャケット及び再発CD (CT25-5573)ブックレットのクレジットに準拠。〕。
1978年、パパラルディはコーキー・レイング(元マウンテン)、イアン・ハンターミック・ロンソンと共に新バンドを結成するが、正式なデビューには至らず、このバンドにより残された録音は、1999年にペット・ロック・レコードから発売された発掘音源集『The Secret Sessions』に収録された〔Corky Laing, Ian Hunter, Mick Ronson, Felix Pappalardi - The Secret Sessions (CD, Album) at Discogs 〕。1979年にはエリック・ゲイルリチャード・ティーチャック・レイニーバーナード・パーディ等のセッション・ミュージシャンと共に制作したソロ・アルバム『ドント・ウォリー・マ』を発表し、このアルバムにはクリームの曲「サンシャイン・ラヴ」をファンクにアレンジしたカヴァーも収録された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェリックス・パパラルディ」の詳細全文を読む




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