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ビックスバーグ方面作戦 : ミニ英和和英辞書
ビックスバーグ方面作戦[びっくすばーぐほうめんさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
方面 : [ほうめん]
 【名詞】 1. direction 2. district 3. field (e.g., of study) 
: [めん]
  1. (n,n-suf) face 2. mug 3. surface 4. facial features 5. mask 6. face guard 7. side or facet 8. corner 9. page 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

ビックスバーグ方面作戦 : ウィキペディア日本語版
ビックスバーグ方面作戦[びっくすばーぐほうめんさくせん]

ビックスバーグ方面作戦(ビックスバーグほうめんさくせん、)は、南北戦争西部戦線で、ミシシッピ川南軍最後の拠点である要塞都市ミシシッピ州ビックスバーグに向けた一連の操軍と戦闘である。北軍ユリシーズ・グラント少将が指揮するテネシー軍がこの強固な要塞を占領し、そこに陣取っていた南軍ジョン・C・ペンバートン中将軍を打ち破って、ミシシッピ川の支配を確立した。

この方面作戦は、1862年12月26日から1863年7月4日の間に、多くの重要な海軍の行動、陸軍の動き、失敗した独創的作戦および11の異なる戦闘で構成された。軍事歴史家達はこの方面作戦を2つの段階、すなわち「ビックスバーグに対する作戦行動」(1862年12月26日から1863年1月)と「グラントのビックスバーグに対する作戦行動」(1863年3月から7月)に分けている。
グラントは当初2手に分かれての接近を計画した。ウィリアム・シャーマン少将に任せた半分はヤズー川に進軍し北東からビックスバーグに迫る、グラントは残りの軍隊を率いてミシシッピ中央鉄道を下るというものだった。これらの初期行動のどちらも失敗した。グラントは多くの「実験」や遠征を行った。グラントのバイユー作戦と呼ばれるものは、ミシシッピ川を使ってビックスバーグ砲台の南に出ようとするものだった。この独創的作戦は全部で5種類行い全てうまく行かなかった。最終的に北軍の砲艦と輸送船がビックスバーグの砲台下を抜け、陸路ルイジアナ州に入ったグラント軍と落ち合った。1863年4月29日と30日、グラント軍はミシシッピ川を渉りミシシッピ州ブルーンズバーグに上陸した。念入りな一連の示威行動と牽制で南軍をごまかし、上陸は抵抗無しに行われた。その後の17日間にグラントはその軍隊を内陸に動かし、5度の戦いに勝ってミシシッピ州都ジャクソンを占領し、ビックスバーグを攻撃して包囲した。
ペンバートン軍が7月4日ゲティスバーグの戦いでの南軍敗北の1日後)に降伏した後、7月9日にポートハドソンがナサニエル・バンクス少将に降伏し、ミシシッピ川全体が北軍の支配下に落ちた。これらの出来事は南北戦争の転回点と広く認められている。グラントのビックスバーグ方面作戦はアメリカの軍事史の中でも傑作の一つと考えられている。
== 背景 ==

ビックスバーグは南軍にとって大きな戦略的重要さがあった。そこが南軍の手にある限り、北軍が川を下ることを防ぎ、また南軍にとっては、農産物の供給を大いに頼っている川向こう西部州との通信が可能だった。ビックスバーグ市の自然の要害は理想的であり、「南軍のジブラルタル」という渾名も貰っていた。デ・ソト半島と呼ばれる馬蹄形をした川の屈曲部を見下ろす高い崖の上に位置しており、舟で接近することをほとんど不可能にしていた。ビックスバーグの北と東はミシシッピ・デルタ(時としてヤズー・デルタと呼ばれた)であり、南北に200マイル (320 km)、東西に50マイル (80 km)は実質的に侵入できなかった。ヤズー川上流約12マイル (19 km)ではヘインズ・ブラフに南軍の砲台と塹壕があった。ビックスバーグ西のルイジアナ州の土地も多くの小川やお粗末な田舎道ばかりであり、冬の洪水が広がり、要塞から見れば川の対岸であったので、これも接近が難しかった。
ビックスバーグ市は以前北軍海軍の攻撃を受けたことがあった。デヴィッド・ファラガット提督が1862年5月18日ニューオーリンズを占領した後で川を遡り、ビックスバーグの降伏を要求した。ファラガットはその意志を通すだけの部隊を連れて居らず、ニューオーリンズに戻った。さらに1862年6月には戦隊を率いて戻ってきたが、6月26日から28日に要塞を砲爆して降伏させようとして失敗した。ファラガットは7月の間ビックスバーグ市への砲爆を続け、その地域にいた装甲艦アーカンソーを含む数隻の南軍艦船とも小さな戦闘を何回か交わしたが、上陸を試みるまでには戦力が足りず、ビックスバーグ市を降伏させる試みを中止した。ファラガットは屈曲部、デ・ソト半島の首にあたる部分に運河を掘って要塞化された崖の下を迂回する可能性を調査した。6月28日、ファラガット支配下に付いていたトマス・ウィリアムズ准将が地元の労働力や兵士を使って運河を掘削する工事を開始した。動員された者の多くは熱帯病と熱中症で倒れ、7月24日には工事が中断された(ウィリアムズは2週間後のバトンルージュの戦いで戦死した)〔Ballard, pp. 46-62; Bearss, vol. I, p. 437; VNMP article on Grant's Canal.〕。
1862年の秋、ヘンリー・ハレック少将が西部戦線の指揮官から北軍全軍の総司令官に昇進した。11月23日、ハレックはグラントに、ミシシッピ川を下ってビックスバーグに至るやり方を好むと指示した。ハレックのやり方では、この方面作戦にかなりの独創性、つまり好戦的なグラントが採る機会を残していた。ハレックは西部戦線を指揮していた夏の間にテネシー州メンフィスからビックスバーグに向けて陸路を迅速に進まなかったことで批判を受けていた。ハレックは海軍が独自で要塞を占領できると思っていたが、海軍はその任務を完了できるほど陸上部隊を持っていなかったことを知らなかった。1862年夏に成功したであろう事は、南軍が守備隊を十分に増強したために11月ではもはや不可能になっていた。
グラント軍はミシシッピ中央鉄道を南に下り、ミシシッピ州ホーリースプリングスに前進基地を造った。ビックスバーグの方向には2手に分かれた攻撃を計画した。主要な部下であるウィリアム・シャーマンには4個師団(約32,000名)を付けて川を下らせ、グラントは残りの部隊(約40,000名)を率いて鉄道沿いにオックスフォードまで進み続け、南軍をビックスバーグ市からおびき出してグレナダ近くで攻撃してくれることを期待して、そこで展開を待つことにした。
南軍側では、ミシシッピ州内の軍隊はペンシルベニア州出身の士官で南軍のために戦うことを選んだジョン・C・ペンバートン中将の指揮下にあった。ビックスバーグと州都ジャクソンには12.000名、グレナダにはアール・ヴァン・ドーン少将指揮下の約24,000名がいた。
一方、政治的な力も働いていた。エイブラハム・リンカーン大統領は以前からビックスバーグの重要さを認識しており、「ビックスバーグがキーである。このキーが我々のポケットに入るまでこの戦争が終わることは無い」と書いていた。リンカーンもまた2方向からの攻撃を想定したが、川の上下からのものだった。タカ派民主党の政治家ジョン・A・マクラーナンド少将は自分なら軍隊を率いて川を下りビックスバーグを奪えるとリンカーンを説得した。リンカーンはその提案を承認し、同時にナサニエル・P・バンクス少将にはニューオーリンズから川を遡っての前進を望んだ。マクラーナンドは部隊の編成を始め、それをメンフィスに送った。ハレックはワシントンD.C.に戻るとマクラーナンドのことが心配になり、グラントに西部方面全軍の指揮権を与えた。マクラーナンドの軍隊は2つの軍団に分けられ、1つはマクラーナンド自身が、もう1つはシャーマンが率いた。マクラーナンドはこの処置に苦情を言ったが為す術は無かった。グラントはその軍隊を自分のものにしたが、この方面作戦の間続くことになるグラントとマクラーナンドの間の私的闘争における幾つかの操作の一つとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビックスバーグ方面作戦」の詳細全文を読む




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