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パオロ・マルディーニ : ミニ英和和英辞書
パオロ・マルディーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

パオロ・マルディーニ : ウィキペディア日本語版
パオロ・マルディーニ[ちょうおん]

パオロ・チェーザレ・マルディーニ(Paolo Cesare Maldini, 1968年6月26日 - )は、イタリアミラノ出身の元サッカー選手。元イタリア代表選手。セリエAACミランに所属していた。ポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)。
史上最高の左サイドバックと評され、ミランの象徴とまで呼ばれた選手〔歴代最強欧州CLベストイレブン Qoly football web magazine 2012年10月21日〕
カカ、マルディーニを語る「パオロは伝説だよ」 livedoor NEWS スポーツ 2006年12月4日〕
パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社) パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社)〕
プランデッリ監督:「マルディーニは最後のバンディエラ」 Goal.com 2009年5月30日〕。
そのサッカー人生の全てをACミランに捧げ、25年間という長きにもわたりミランのバンディエラ(旗手)としてチームを支え続けた。イタリア代表ではFIFAワールドカップ4大会連続出場を果たし、1998年フランス大会2002年日韓大会では主将も務めた。マルディーニが積み立ててきたサッカー人生は、やがて『セリエA歴代最多出場試合数(647試合)、W杯史上最多出場時間(2217分)、W杯最多フル出場試合数(23試合)』という金字塔を打ち立て、幾多のタイトルと共に(後述)、今日のサッカー史にその名が刻まれている〔カカ、マルディーニを語る「パオロは伝説だよ」 livedoor NEWS スポーツ 2006年12月4日〕〔パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社) パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社)〕〔サネッティが大記録…セリエA歴代3位の570試合出場 livedoor NEWS スポーツ 2012年4月12日〕〔FIFAワールドカップにおける記録〕。
彼がACミランでつけていた背番号3は、2005年10月18日に彼の父親のチェーザレ・マルディーニから始まる親子3代のACミラン入りとなった、長男クリスティアン・マルディーニ(Christian Maldini, 1996年6月14日 - )が引き継がない限り、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様に永久欠番となる。
== 略歴 ==
父親のチェーザレ・マルディーニは、息子と同じくACミランのキャプテンを務め、1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝を成し遂げ、ミラン、イタリア代表監督を共に務め挙げた存在。必然的にパオロはその下で幼少期よりサッカーに親しんでいった。
ニルス・リードホルム監督の下16歳の若さでセリエAにデビューしたのち、以降25年間に亘り第一線でプレイし続けることになる驚異的な存在となる。イタリア代表でも史上最多の126というキャップ数(後にファビオ・カンナバーロが更新)を記録した他、2004年にセリエA単一クラブ最多出場記録を更新。2005年にはディノ・ゾフが持っていたセリエA最多出場記録570試合を更新している。2007年2月20日にはチャンピオンズリーグの対セルティック戦においてチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成、更に同年3月11日には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場を達成した。奇しくもこの日の試合はライバル、インテル・ミラノとのミラノ・ダービーであったが白星を飾ることはできなかった。2008年2月16日、セリエA第23節のパルマFC戦に途中出場しクラブ、U-21代表、A代表での公式戦現役合計出場1000試合を達成した。
長年一線級で活躍し、一時代を築いてきた彼は進退に対して注目されることも多かった。
とはいえ、セリエAはもとより世界に於いてトップクラスの資質を保ち続けたこと、平均年齢が高齢化したミランのディフェンダー陣再構築が遅々として進んでいなかったこと、また精神的支柱としての立場を考慮し、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長らクラブ首脳陣は慰留を続けた。
度重なる膝の怪我に悩まされ、2004年には引退をほのめかしたことがある。サイドバックとしてのスピードの衰えを指摘された彼は、本格的にセンターバックにポジションを変え、代表チームを引退し「2足の草鞋」を脱いでクラブでのプレーに専念することで、再び世界トップレベルのDFとして復活した。
また、左膝の怪我や故障から、アレッサンドロ・コスタクルタと共に2007年7月末の契約満了をもって現役引退を示唆したシーズンには、チャンピオンズリーグ 2006-07の決勝で優勝を決めた後「今度はクラブW杯をとりたい。」と語り、翌シーズンもプレーする意思を表明した。膝の怪我を手術した影響で2007-08シーズンは出場機会が限定されたものの、FIFAクラブワールドカップ2007では長年のキャリアで数々の栄光を勝ち取った本職の左サイドバックとして準決勝に途中出場、決勝でもフル出場し優勝に貢献した。
その後も契約を延長し、40歳を迎えてなおもプレーする姿はファンはもとより選手の間からも尊敬を集めた。
2009年に現役引退を発表。一部のミラニスタとは険悪な関係であり、ホームでの現役最後の試合では、マルディーニを批判するメッセージが掲げられたが〔去るタイミング。 ~“バンディエラ”マルディーニの 寂しき引退~ Number Web 2009年5月29日〕、
現役最後の試合となったアウェー・フィオレンティーナ戦ではロスタイムにフィオレンティーナの選手がわざとボールを外に出しマルディーニの為だけの時間を作った。敵味方関係なくその場にいたすべての人がスタンディングオベーションでマルディーニを称えた〔プランデッリ監督:「マルディーニは最後のバンディエラ」 Goal.com 2009年5月30日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パオロ・マルディーニ」の詳細全文を読む




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