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バリ侵攻 : ミニ英和和英辞書
バリ侵攻[ばりしんこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

侵攻 : [しんこう]
  1. (n,vs) invasion 

バリ侵攻 : ウィキペディア日本語版
バリ侵攻[ばりしんこう]

バリ侵攻とは、1906年オランダによるバリ島への軍事侵攻。この戦争でバリ島南部のバドゥン国タバナン国は壊滅し、クルンクン王国の弱体化を招いた。オランダ軍による6度目のバリ島侵攻であった〔Hanna, pp.140–141〕。
==経緯==

オランダ海上帝国1846年から1849年にかけてのバリ戦争ジュンブラナ国ブレレン国を獲得し、また1894年のロンボク戦争ロンボク国カランガスム王国を獲得し、オランダ領東インド領土に編成することに成功した。
しかし、バリ島南部のバドゥン国タバナン国はいまだ独立状態を保っていた。オランダ帝国は両国にオランダ領東インドへの編入を交渉したが、こうした交渉はオランダによる軍事侵攻の口実であった〔Hanna, pp.139–140〕。
1846年のバリ戦争の口実と同じ口実で、オランダ側はバリ島の王に、島の周囲の暗礁に乗り上げた難破船の略奪に関して国際法違反であると主張し、バリ側は難破によって所有権は移転することは伝統的な習慣のタワン・カラン(tawan karang)であると反論した。
1904年5月27日、中国のスクーナー船スリ・クマラ号がサヌール海岸沖の暗礁に乗り上げ、バリ人によって略奪された。オランダは賠償を請求し、バドゥン国王はこれを拒否、タバナン国クルンクン王国の王がこれを支持した〔。
タバナン国王とオランダはすでに1904年に、ヒンドゥー教の習慣で寡婦が夫(主人)の遺体とともに焼身自殺するサティーの実施をめぐってオランダがこの習慣をやめるよう要請したところ、国王がこれを拒絶したため、オランダは不快に感じていたという経緯があった〔。
1906年6月、オランダはバリ島南部の沿岸の封鎖を開始し、最後通牒をバリに伝えた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バリ侵攻」の詳細全文を読む




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